攻めのマインドを貫いて… 久米一正とニカノール、そして西野朗の捻じれた巡り合わせ

カテゴリ:Jリーグ

加部 究

2018年12月04日

96年、柏レイソルで強化本部長、監督、コーチという立場で巡り合った3人

柏レイソルでは監督とコーチという間柄だったニカノール(中央)と西野(左)。ともにJリーグ最優秀監督賞を受賞した名将だ。(C) J.LEAGUE PHOTOS

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 ロシア・ワールドカップでの日本代表の活躍を見届け、名将西野朗の誕生を“後押し”した2人が相次いで他界した。11月23日に久米一正が、その5日後にはニカノールが旅立った。
 
 3人の巡り合わせは、少々捻じれたものだった。西野と久米は、それぞれ早稲田と中央の中心選手として関東大学リーグでしのぎを削ったが、卒業すると日立に同期入社をしている。当時の日立は走りまくって泥臭く戦う雨中戦を得意とするチームだったので、明らかにフィットしやすいのは久米の方だった。逆に天才肌の西野は、型にはめられ自己表現に悩み、大成し切れずに現役生活を終えた印象がある。
 
 ユニホームを脱いだ西野が、指揮官として28年ぶりに五輪(アトランタ大会)へと導くのは周知の通りだが、再び彼を指導者の道に誘ったのは久米だった。Jリーグ創設時にプロ化を見送った日立が、柏レイソルとして歴史を刻み始めるのが1994年。その2年後に久米はクラブの強化本部長に就任し、同時にニカノールが監督に着任する。そして久米は、西野をコーチとして招聘するのだった。
 
 ニカノールは、外見の恰幅同様に太っ腹の指揮官だった。話が遡るが、ニカノールが初めて日本で仕事をしたのが1991年春。湘南ベルマーレの前身フジタと契約し、肩書きはヘッドコーチでも、最初から役割は監督そのものだった。ミーティングでも戦術的な説明はすべてニカノールが引き受け、逆に監督の古前田充が出場の少ない選手たちのケアなどに回ったという。
 
 とりわけ発芽直前のチームには攻撃性が大切だ。パフォーマンスはもちろんだが、それはチーム作りにも当てはまる。肝の据わった指揮官は、若い才能に着目すると躊躇なく抜擢し、爆発的な攻撃力を引き出していった。例えば、横浜商科大高校を出たばかりの岩本輝雄は、突出した左足と発展途上の守備力がコントラストを成していたから、ニカノール監督がサイドバックへの転向を告げるとチームメイトの大爆笑に包まれたそうである。しかし不安そうな岩本に、ニカノールは告げた。
「大丈夫だ、カバーリングと1対1で負けないこと。それだけ気をつけておけ」
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