軽いノリの芸能人そのままというプロフィールの持ち主。
セリエA随一の“監督解任魔”としてその名を轟かせてきたパレルモのマウリツィオ・ザンパリーニ前会長が、2002年から15年間保有してきたクラブの全株式を、アメリカの投資ファンド『インテグリタス・キャピタル』に売却。経営から身を引くことが決まった。
3月7日の取締役会で新たに会長の座に就いたのは、同ファンドの代表で弱冠33歳のイタリア系アメリカ人、ポール・バッカリーニ。クラブの買収のみならずスタジアムとトレーニングセンターの新建設を約束するという、薔薇色の未来図を掲げて登場したこの新オーナーだが、サポーターやマスコミの間では歓迎ムードよりもむしろ戸惑いの方が先に立っている。
というのもこのバッカリーニ新会長、33歳という若さもさることながら、その“履歴書”自体がセリエAクラブ会長の典型的なそれとは、まったくかけ離れているからだ。
20代半ばまでは、いわゆるTVタレントだった。ラジオ番組のパーソナリティーやクラブのDJに始まり、やがて民放TV局『メディアセット』(オーナーはミランのシルビオ・ベルルスコーニ名誉会長)の超人気番組では、ローマの主将フランチェスコ・トッティ夫人のイラリー・ブラージが司会を務める『レ・イエーネ』のレポーターに抜擢される。国会議員を議事堂の出口で待ち伏せしてバンザイを強制するドッキリ・レポートで人気を集めるなど、芸能界に身を置いていた。
185cmの長身(10代の頃はバスケットボールの選手としてプロクラブの育成部門でプレー)と愛嬌のある風貌、全身に無数のタトゥー、そして婚約者はメディアセットのもうひとつの超人気番組『ストリッシャ・レ・ノティーツィエ』でマスコットガールを努めていたグラマーなブラジル人モデルと、いかにも軽いノリの芸能人そのままというプロフィールの持ち主なのである。
2007年には『レモン党 Lemon Party』という政党を設立し、2年後の欧州議会選挙に立候補したのだが、そのスローガンは「とにかくレモンをしよう。もっとレモンをしよう(Limonare e ancora limonare)」というものだった。「レモンをする(limonare)」というのは、イタリア語のスラングでディープキスを指す動詞。つまりは立候補そのものが、ウケ狙いの冗談というオチだった。
3月7日の取締役会で新たに会長の座に就いたのは、同ファンドの代表で弱冠33歳のイタリア系アメリカ人、ポール・バッカリーニ。クラブの買収のみならずスタジアムとトレーニングセンターの新建設を約束するという、薔薇色の未来図を掲げて登場したこの新オーナーだが、サポーターやマスコミの間では歓迎ムードよりもむしろ戸惑いの方が先に立っている。
というのもこのバッカリーニ新会長、33歳という若さもさることながら、その“履歴書”自体がセリエAクラブ会長の典型的なそれとは、まったくかけ離れているからだ。
20代半ばまでは、いわゆるTVタレントだった。ラジオ番組のパーソナリティーやクラブのDJに始まり、やがて民放TV局『メディアセット』(オーナーはミランのシルビオ・ベルルスコーニ名誉会長)の超人気番組では、ローマの主将フランチェスコ・トッティ夫人のイラリー・ブラージが司会を務める『レ・イエーネ』のレポーターに抜擢される。国会議員を議事堂の出口で待ち伏せしてバンザイを強制するドッキリ・レポートで人気を集めるなど、芸能界に身を置いていた。
185cmの長身(10代の頃はバスケットボールの選手としてプロクラブの育成部門でプレー)と愛嬌のある風貌、全身に無数のタトゥー、そして婚約者はメディアセットのもうひとつの超人気番組『ストリッシャ・レ・ノティーツィエ』でマスコットガールを努めていたグラマーなブラジル人モデルと、いかにも軽いノリの芸能人そのままというプロフィールの持ち主なのである。
2007年には『レモン党 Lemon Party』という政党を設立し、2年後の欧州議会選挙に立候補したのだが、そのスローガンは「とにかくレモンをしよう。もっとレモンをしよう(Limonare e ancora limonare)」というものだった。「レモンをする(limonare)」というのは、イタリア語のスラングでディープキスを指す動詞。つまりは立候補そのものが、ウケ狙いの冗談というオチだった。