無観客試合となった第1戦…しかしマドリーはものともせず。

86年のメキシコ・ワールドカップで世界を制し、翌年にはナポリをイタリア王者に引き上げたマラドーナだが、老練なマドリーの前にはその良さを消されてしまった。写真は第2レグ。 (C) SOCCER DIGEST
2月15日(現地時間)に行なわれるチャンピオンズ・リーグ(CL)・決勝トーナメント1回戦で、レアル・マドリーとナポリが対戦する。
CLでは初、1991-92シーズン以前のチャンピオンズ・カップ時代を含めると87-88シーズン以来、2度目の対峙となる。
この珍しい顔合わせは、今ラウンドでも大きな注目を集めており、前年度王者が貫録を見せ付けるか、あるいはナポリが自慢の攻撃力を爆発させるか、メディアや関係者の予想も二分されている。
注目の高さは、30年前も同様だった。当時は各国リーグの王者と前年度の欧州王者だけが出場し、トーナメント方式で王座を争っていたが、抽選の結果、スペインとイタリアのリーグ覇者が1回戦で顔を合わせたのである。
87年9月16日、第1レグは今回同様、マドリーのホームであるサンチャゴ・ベルナベウで開催されたが、メディアの関心も非常に高く、スタジアムに詰め掛けた記者、カメラマンの数は、82年スペイン・ワールドカップ決勝戦以来の多さだったといわれている。
それも当然、マドリーは当時から世界に冠たる名門クラブであり、国内リーグは2連覇中(後に5連覇を達成)。一方、ナポリは世界最高のスーパースター、ディエゴ・マラドーナを擁し、クラブ史上初のセリエA制覇を果たしてこの舞台に駒を進めてきたのだ。
ただ、この世界が注視した一戦を、ベルナベウのスタンドで観戦できたファンはひとりもいなかった。実は、前シーズンの同カップ準決勝、バイエルン戦でファンが審判や相手選手に花火を放ったため、UEFAから無観客試合の裁定がマドリーに下っていたからである。
つまり、あれから30年が経って今回、マドリーのサポーターは初めて、欧州最高の舞台においてナポリのプレーを直に目撃することになるのだ。
ちなみにUEFAは当初、このベルナベウでの試合についてはテレビやラジオでの放送も禁じていたが、直前になってこれは認めた。しかし、まだ入場料が収入の大きな割合を締めていた時代に、マドリーは4億円近い稼ぎを失ったのである。痛い……。
肝心の試合、マドリーは前半の早い段階にマヌエル・サンチスが倒されて得たPKをミチェルが決め、さらに76分にはシュートがナポリの選手に当たって軌道が変わるという幸運なかたちで、静寂の一戦を制した(実際はスタジアムの外に多くのファンがいたため、かなり騒々しかったようだが)。
ナポリにとっては、有利なはずの状況でのアウェーマッチを0-2で落としたのは痛恨だった。というのも、当時のマドリーは主力選手が円熟期を迎え、また高い組織力を誇るだけに、なかなかゴールを割るのが難しいチームだったからだ。
CLでは初、1991-92シーズン以前のチャンピオンズ・カップ時代を含めると87-88シーズン以来、2度目の対峙となる。
この珍しい顔合わせは、今ラウンドでも大きな注目を集めており、前年度王者が貫録を見せ付けるか、あるいはナポリが自慢の攻撃力を爆発させるか、メディアや関係者の予想も二分されている。
注目の高さは、30年前も同様だった。当時は各国リーグの王者と前年度の欧州王者だけが出場し、トーナメント方式で王座を争っていたが、抽選の結果、スペインとイタリアのリーグ覇者が1回戦で顔を合わせたのである。
87年9月16日、第1レグは今回同様、マドリーのホームであるサンチャゴ・ベルナベウで開催されたが、メディアの関心も非常に高く、スタジアムに詰め掛けた記者、カメラマンの数は、82年スペイン・ワールドカップ決勝戦以来の多さだったといわれている。
それも当然、マドリーは当時から世界に冠たる名門クラブであり、国内リーグは2連覇中(後に5連覇を達成)。一方、ナポリは世界最高のスーパースター、ディエゴ・マラドーナを擁し、クラブ史上初のセリエA制覇を果たしてこの舞台に駒を進めてきたのだ。
ただ、この世界が注視した一戦を、ベルナベウのスタンドで観戦できたファンはひとりもいなかった。実は、前シーズンの同カップ準決勝、バイエルン戦でファンが審判や相手選手に花火を放ったため、UEFAから無観客試合の裁定がマドリーに下っていたからである。
つまり、あれから30年が経って今回、マドリーのサポーターは初めて、欧州最高の舞台においてナポリのプレーを直に目撃することになるのだ。
ちなみにUEFAは当初、このベルナベウでの試合についてはテレビやラジオでの放送も禁じていたが、直前になってこれは認めた。しかし、まだ入場料が収入の大きな割合を締めていた時代に、マドリーは4億円近い稼ぎを失ったのである。痛い……。
肝心の試合、マドリーは前半の早い段階にマヌエル・サンチスが倒されて得たPKをミチェルが決め、さらに76分にはシュートがナポリの選手に当たって軌道が変わるという幸運なかたちで、静寂の一戦を制した(実際はスタジアムの外に多くのファンがいたため、かなり騒々しかったようだが)。
ナポリにとっては、有利なはずの状況でのアウェーマッチを0-2で落としたのは痛恨だった。というのも、当時のマドリーは主力選手が円熟期を迎え、また高い組織力を誇るだけに、なかなかゴールを割るのが難しいチームだったからだ。