リクエストした選手を主に値段の問題で逃した。
移籍期限ギリギリにパリSGから買い戻したダビド・ルイスを含めて、今夏の移籍市場で5人の新戦力を獲得したチェルシー。興味深いのは、そのいずれも新監督のアントニオ・コンテが希望した補強ではなかったという事実だ。彼がクラブにリクエストした新戦力の獲得は、どれも実現しなかったのである。
D・ルイスもエヌゴロ・カンテ(レスターから)も、そしてミチ・バチュアイ(マルセイユから)もマルコス・アロンソ(フィオレンティーナ)も、コンテの希望リストにはなかった名前。もちろん、クラブは指揮官の要請に応じて獲得交渉を進めた。だが、いずれも条件面で折り合いがつかなかったのだ。
コンテが中盤に最も欲しがっていたのはラジャ・ナインゴラン。チェルシーはローマとも選手サイド(代理人)とも接触し、4000万ユーロ(約48億円)近い好条件を提示した。対するローマは4500万ユーロ(約54億円)という値札から譲る姿勢をまったく見せなかった。
以前のチェルシーなら、こういう状況になれば先方の言い値に応じて交渉をまとめたものだ。それが近年は、そう簡単に財布を開かなくなっている。
前線のトップターゲットだったアルバロ・モラタも、6000万ユーロ(約72億円)のオファーをレアル・マドリーに拒否されて交渉が決裂。第2ターゲットのロメル・ルカクにも同じ金額をオファーしたもののエバートンに突き返され、獲得できなかった。
CBも同じだ。コンテのファーストチョイスはカリドゥ・クリバリ。ナポリに対して4000万ユーロを上回るオファーを送りながら、これも拒否される。次善のコンスタンティノス・マノラスは、ローマが交渉のテーブルに着こうとすらしなかった。
そもそも実は、コンテは同じローマのアントニオ・リュディガーを第一候補に挙げていたのだが、EURO2016開幕前に膝の怪我で長期離脱したためターゲット変更を余儀なくされたという経緯がある。
コンテがリストアップした次の名前がアレッシオ・ロマニョーリで、チェルシーはミランに対して3500万ユーロ(約42億円)+ボーナスをオファーした。ミランの総帥シルビオ・ベルルスコーニとアドリアーノ・ガッリアーニ副会長はこれを表向き否定しながら、実際には受け入れる決断を下した。
ここで拒否権を発動したのが、ミラン経営権の買い取りが内定している中国資本だった。将来チームの看板となりうる21歳の優秀なイタリア人CBを手放すというのは、彼らには受容しがたい決断だったのだ。
D・ルイスもエヌゴロ・カンテ(レスターから)も、そしてミチ・バチュアイ(マルセイユから)もマルコス・アロンソ(フィオレンティーナ)も、コンテの希望リストにはなかった名前。もちろん、クラブは指揮官の要請に応じて獲得交渉を進めた。だが、いずれも条件面で折り合いがつかなかったのだ。
コンテが中盤に最も欲しがっていたのはラジャ・ナインゴラン。チェルシーはローマとも選手サイド(代理人)とも接触し、4000万ユーロ(約48億円)近い好条件を提示した。対するローマは4500万ユーロ(約54億円)という値札から譲る姿勢をまったく見せなかった。
以前のチェルシーなら、こういう状況になれば先方の言い値に応じて交渉をまとめたものだ。それが近年は、そう簡単に財布を開かなくなっている。
前線のトップターゲットだったアルバロ・モラタも、6000万ユーロ(約72億円)のオファーをレアル・マドリーに拒否されて交渉が決裂。第2ターゲットのロメル・ルカクにも同じ金額をオファーしたもののエバートンに突き返され、獲得できなかった。
CBも同じだ。コンテのファーストチョイスはカリドゥ・クリバリ。ナポリに対して4000万ユーロを上回るオファーを送りながら、これも拒否される。次善のコンスタンティノス・マノラスは、ローマが交渉のテーブルに着こうとすらしなかった。
そもそも実は、コンテは同じローマのアントニオ・リュディガーを第一候補に挙げていたのだが、EURO2016開幕前に膝の怪我で長期離脱したためターゲット変更を余儀なくされたという経緯がある。
コンテがリストアップした次の名前がアレッシオ・ロマニョーリで、チェルシーはミランに対して3500万ユーロ(約42億円)+ボーナスをオファーした。ミランの総帥シルビオ・ベルルスコーニとアドリアーノ・ガッリアーニ副会長はこれを表向き否定しながら、実際には受け入れる決断を下した。
ここで拒否権を発動したのが、ミラン経営権の買い取りが内定している中国資本だった。将来チームの看板となりうる21歳の優秀なイタリア人CBを手放すというのは、彼らには受容しがたい決断だったのだ。