「私の父は熱狂的なファンだった」
ヘルタとクリンスマンの間には過去に絆があったわけではない。選手時代も、監督としても所属していたことがない。だが、クリンスマンにとって、ヘルタは特別なクラブだった。
「私の父は熱狂的なヘルタのファンだったんだ」
父親のジークフリート・クリンスマンは05年に亡くなった。享年71歳。ベルリン近郊生まれの父は戦後西ドイツに亡命し、シュツットガルトに新しい居を構え、パン屋を営んだ。そんな父との大事な思い出がある。
72年、初めてクリンスマンを突連れてブンデスリーガの観戦に訪れたのが、シュツットガルト対ヘルタの一戦だった。暮らす場所が変わっても、思いは常にヘルタにあったのだ。
「父はきっと、この状況を一緒に味わいたいと思ってくれただろうね。残念ながらもういないけれど」
監督交代は成績不振から抜け出す大きな刺激となる。だが、その特効薬は上手く使わないと最大限の効果は得られない。就任初戦となったドルトムント戦では前半に0-2とリードを許す苦しい展開になったが、粘り強い戦いであと少しで同点に追いつけそうなところまで迫った。
「私の父は熱狂的なヘルタのファンだったんだ」
父親のジークフリート・クリンスマンは05年に亡くなった。享年71歳。ベルリン近郊生まれの父は戦後西ドイツに亡命し、シュツットガルトに新しい居を構え、パン屋を営んだ。そんな父との大事な思い出がある。
72年、初めてクリンスマンを突連れてブンデスリーガの観戦に訪れたのが、シュツットガルト対ヘルタの一戦だった。暮らす場所が変わっても、思いは常にヘルタにあったのだ。
「父はきっと、この状況を一緒に味わいたいと思ってくれただろうね。残念ながらもういないけれど」
監督交代は成績不振から抜け出す大きな刺激となる。だが、その特効薬は上手く使わないと最大限の効果は得られない。就任初戦となったドルトムント戦では前半に0-2とリードを許す苦しい展開になったが、粘り強い戦いであと少しで同点に追いつけそうなところまで迫った。
続くフランクフルト戦では、2-0とリードを奪うことに成功、ただしセットプレーから2失点を喫して引き分けどまりとなった。低迷しているチームはいち早く勝ち点3を手にして、ホッとしたい。クリンスマンにしてもそうだろう。それでも記者会見でクリンスマンは時折笑顔を浮かべながら、手にした勝ち点1への喜びを口にした。
「大きな一歩だ。順位表で下の方にいるチームにとってはどんな勝ち点も喜んで持ち帰る」
選手側も手応えを感じている。FWデイビー・ゼルケは「試合前にすごくうまくモチベートしてくれるんだ。気持ちを正しい方向へ向かわしてくれる」と語り、MFマルコ・グルイッチは「ドイツで最も名声のある人のひとりだ。彼の元でプレーできてうれしい。すごく多くのことを学ぶことができる」とクリンスマン効果を称賛していた。
ピッチ上で選手たちは、気持ちを前面に押し出すプレーを見せるようになった。ドイツ代表DFニクラス・シュタルクは「プレーのインテンシティーにより価値を見出すようになった。僕らは相手に嫌がられるようなプレーをどんどんやっていくつもりだ。どの相手チームにも『ああ、次の相手はヘルタか。しんどくなるな』と思わせてやる新しい刺激を手にいたんだ」と闘争心むき出しのコメントを残している。
チームの雰囲気はガラリと変わった。間違いなくいい方向に進んでいる。後期に巻き返し、天国の父に朗報を届けるためにも、クリンスマンは情熱の限りを燃やして、ヘルタとともに戦っていく。
筆者プロフィール/中野吉之伴(なかのきちのすけ)
ドイツサッカー協会公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に「サッカー年代別トレーニングの教科書」「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」。WEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)を運営中。