「サッカーの面でも、言葉が通じなければ工夫が必要になる」
――周囲から背中を押す何らかの言葉や支えがあったわけでなく、ご自身の中でそういう心境の変化があったわけですか。
「そうですね。チャレンジの場として、そこが日本から遠かったというのも魅力のひとつだったし、もうひとつシンプルに言えば、他にそういうトライしてみる価値のあるオファーや仕事があったのかというと、決してそうではなかったから。シンプルに考えて、ここしかないなと」
――では即決が求められたなかで、クラブ側との交渉や、ご自身の中での気持ちの葛藤など、タイではかなり濃密な時間を過ごしたわけですね。
「そうですね。もうチェンマイFC側は初め、タイに来てくれた=監督をやってくれるという解釈だった。『やるために来たんだろう』という目線なんですよ。いやいや、こっちは観光というか、街を見に来ただけです、というやりとりから始まって。当然、向こうは『何を言っているんだ!』となって(笑)。そういうところから交渉がスタートしていったんです。それでもオファーを引き受けたのは、さっき言った通り、僕自身の考えがプラス思考に変わっていったから。まあ、最終的には協力し合ってひとつの目標に向かっていく状況にはなったと思う。あとは思い切ってチャレンジするだけですね」
――出会いが最悪だっただけに、あとはいい方向に向かえば……。
「そうなればいいと思っているけど、ただ、あまり気合いが入り過ぎないようにしたいですね。言葉が違えば、習慣も風習もまったく違うし、まずはそういうことをちゃんと知るのも大事だから。サッカーの面でも、言葉が通じなければ工夫が必要になる。言葉が通じないことで、今まで監督として大事にしてきたものがなくなるわけではないので、どう伝えるかという工夫をしていかなければいけない。
逆にチームがどういう方向に行くかによって、シンプルに必要なものだけを選手に伝えていく、またはクラブに根付かせていくという作業になっていく可能性もある。もちろん、しっかりチームを作り上げていくつもりではあるけど、実際にタイ人や外国籍の選手には、これから初めて触れるわけだから、あまりイメージを強く持っていても選手があるスポーツですからね。やっぱり、実際に見て、触れて、うまく微調整を加えていく必要があるんじゃないかなと思っていますよ」
取材・文:長沼敏行(サッカーダイジェストWeb)
■プロフィール
三浦泰年(みうら・やすとし)/1965年7月15日生まれ、静岡県出身。静岡学園高からブラジル留学を経て読売クラブに入団し、清水、V川崎、福岡、神戸で活躍。2003年に現役を引退すると、神戸のチーム統括本部長や静岡FCの総監督を務め、11年に北九州の監督に就任。13年からは古巣の東京Vの監督を務めたが、14年途中に退任。同年12月にタイ・ディビジョン1(2部リーグ)のチェンマイFC監督就任が発表された。
※1月22日発売の『サッカーダイジェスト』誌にて、本インタビューの続編をお届けします。タイ挑戦で見えてきたさらなる可能性や指導者としてのモットーなど、三浦新監督がより深く語っています。お楽しみに。
「そうですね。チャレンジの場として、そこが日本から遠かったというのも魅力のひとつだったし、もうひとつシンプルに言えば、他にそういうトライしてみる価値のあるオファーや仕事があったのかというと、決してそうではなかったから。シンプルに考えて、ここしかないなと」
――では即決が求められたなかで、クラブ側との交渉や、ご自身の中での気持ちの葛藤など、タイではかなり濃密な時間を過ごしたわけですね。
「そうですね。もうチェンマイFC側は初め、タイに来てくれた=監督をやってくれるという解釈だった。『やるために来たんだろう』という目線なんですよ。いやいや、こっちは観光というか、街を見に来ただけです、というやりとりから始まって。当然、向こうは『何を言っているんだ!』となって(笑)。そういうところから交渉がスタートしていったんです。それでもオファーを引き受けたのは、さっき言った通り、僕自身の考えがプラス思考に変わっていったから。まあ、最終的には協力し合ってひとつの目標に向かっていく状況にはなったと思う。あとは思い切ってチャレンジするだけですね」
――出会いが最悪だっただけに、あとはいい方向に向かえば……。
「そうなればいいと思っているけど、ただ、あまり気合いが入り過ぎないようにしたいですね。言葉が違えば、習慣も風習もまったく違うし、まずはそういうことをちゃんと知るのも大事だから。サッカーの面でも、言葉が通じなければ工夫が必要になる。言葉が通じないことで、今まで監督として大事にしてきたものがなくなるわけではないので、どう伝えるかという工夫をしていかなければいけない。
逆にチームがどういう方向に行くかによって、シンプルに必要なものだけを選手に伝えていく、またはクラブに根付かせていくという作業になっていく可能性もある。もちろん、しっかりチームを作り上げていくつもりではあるけど、実際にタイ人や外国籍の選手には、これから初めて触れるわけだから、あまりイメージを強く持っていても選手があるスポーツですからね。やっぱり、実際に見て、触れて、うまく微調整を加えていく必要があるんじゃないかなと思っていますよ」
取材・文:長沼敏行(サッカーダイジェストWeb)
■プロフィール
三浦泰年(みうら・やすとし)/1965年7月15日生まれ、静岡県出身。静岡学園高からブラジル留学を経て読売クラブに入団し、清水、V川崎、福岡、神戸で活躍。2003年に現役を引退すると、神戸のチーム統括本部長や静岡FCの総監督を務め、11年に北九州の監督に就任。13年からは古巣の東京Vの監督を務めたが、14年途中に退任。同年12月にタイ・ディビジョン1(2部リーグ)のチェンマイFC監督就任が発表された。
※1月22日発売の『サッカーダイジェスト』誌にて、本インタビューの続編をお届けします。タイ挑戦で見えてきたさらなる可能性や指導者としてのモットーなど、三浦新監督がより深く語っています。お楽しみに。