「第一印象は、この国では監督をやらないだろうな、というものだった」
――チェンマイFC監督就任の経緯についてですが、オファーをもらったのはいつ頃だったのですか?
「オファーは11月の終わりくらいに来たのかな。まだJリーグが終わる前でしたね。タイで日本人監督を探しているクラブがあるという話を代理人からもらって、前向きに検討してもらえるか、という問い合わせがあったんです。もちろん、僕はプロの監督としてのオファーであれば、すべて前向きに考えていきたいと思っているので、そういう意思を伝えてからは、そのクラブがタイ・ディビジョン1(2部リーグ)のチェンマイFCだということを明かされて、条件面などの話になっていきました。
ただ、自分としては、この話が紙の上でどんどん進んでいったという感じがあってピンとこなかったんです。実際にタイに行ったことはなかったし、向こうの人々や食べ物、習慣、空気感といったものがまったくイメージできなかった。だから、自分で飛行機のチケットを取って実際にタイに行って、クラブの幹部と話し合いをした。それができたことが、最終的な契約につながったんだと思います」
――そうした契約の話がどんどん先走っていくなか、不安になる部分もあったのでは?
「本当に『これでいいのかな?』という感じでしたね。プロフィールみたいなものだけが向こうに出回っているような気がしたんです。それで実際に話が決まって、いざ現地に行って『ここじゃあ、監督はできない』となるのは避けたかったし。現地からは、日本の監督が活躍しているという情報は入るものの、そんなに具体的なものじゃない。そういう意味でも、実際に行ってみてからという部分が強かったですね」
――報道では12月の上旬頃に、「チェンマイFCの監督に就任」と出ましたが、実際タイに渡ったのは?
「5日に出発して、6、7、8日と現地にいて、9日に帰国。だから、その数日間で、チェンマイFC側からのオファーに対して決断を下す必要があったんです」
――実際にタイに行ってみての第一印象はどうだったのでしょうか?
「まあ、この国では監督をやらないだろうな、というものでしたね(笑)」
――何がきっかけで就任の方向へ傾いていったのですか?
「逆に、そうであるからこそ、やるべきかなということを、時間が経てば経つほど思うようになったんですよね。いろんな意味で。モチベーションであったり、新しいことへのトライ、あるいは監督としてこれまで当たり前だったことが当たり前でなくなる環境で自分が指揮を執る意味だったり。時間が経つにつれて、自分の考えが非常にプラス思考に変わっていったんです。短い時間の中で。これはトライしてみる価値があるのかなって」
「オファーは11月の終わりくらいに来たのかな。まだJリーグが終わる前でしたね。タイで日本人監督を探しているクラブがあるという話を代理人からもらって、前向きに検討してもらえるか、という問い合わせがあったんです。もちろん、僕はプロの監督としてのオファーであれば、すべて前向きに考えていきたいと思っているので、そういう意思を伝えてからは、そのクラブがタイ・ディビジョン1(2部リーグ)のチェンマイFCだということを明かされて、条件面などの話になっていきました。
ただ、自分としては、この話が紙の上でどんどん進んでいったという感じがあってピンとこなかったんです。実際にタイに行ったことはなかったし、向こうの人々や食べ物、習慣、空気感といったものがまったくイメージできなかった。だから、自分で飛行機のチケットを取って実際にタイに行って、クラブの幹部と話し合いをした。それができたことが、最終的な契約につながったんだと思います」
――そうした契約の話がどんどん先走っていくなか、不安になる部分もあったのでは?
「本当に『これでいいのかな?』という感じでしたね。プロフィールみたいなものだけが向こうに出回っているような気がしたんです。それで実際に話が決まって、いざ現地に行って『ここじゃあ、監督はできない』となるのは避けたかったし。現地からは、日本の監督が活躍しているという情報は入るものの、そんなに具体的なものじゃない。そういう意味でも、実際に行ってみてからという部分が強かったですね」
――報道では12月の上旬頃に、「チェンマイFCの監督に就任」と出ましたが、実際タイに渡ったのは?
「5日に出発して、6、7、8日と現地にいて、9日に帰国。だから、その数日間で、チェンマイFC側からのオファーに対して決断を下す必要があったんです」
――実際にタイに行ってみての第一印象はどうだったのでしょうか?
「まあ、この国では監督をやらないだろうな、というものでしたね(笑)」
――何がきっかけで就任の方向へ傾いていったのですか?
「逆に、そうであるからこそ、やるべきかなということを、時間が経てば経つほど思うようになったんですよね。いろんな意味で。モチベーションであったり、新しいことへのトライ、あるいは監督としてこれまで当たり前だったことが当たり前でなくなる環境で自分が指揮を執る意味だったり。時間が経つにつれて、自分の考えが非常にプラス思考に変わっていったんです。短い時間の中で。これはトライしてみる価値があるのかなって」