背番号13と歩んできたサッカー人生、その後継者に「挑戦状」。新人の伊藤涼太郎には、社交辞令なしのエールを送る。
では、背番号13は、どのような選手につけてもらいたいか。
「若い頃は『自分の背番号にしたい』と思っていたが、自分だけでなく、応援してくれるサポーターと一緒に背負っていくものだと、少しずつ気持ちが変わっていった。(後継者は)僕よりも上手い選手はたくさんいるから、僕の残像をかき消して、イメージを変えるような活躍をみせてほしい。それは僕からの挑戦状というか、乗り越えていってほしい」
1月13日に、新加入選手の記者会見が埼玉スタジアムで行われ、その際に2016年の背番号も発表される。鈴木がつけてきた「13番」が一体誰に引き継がれるのか、それとも空番になるのか、それも注目のひとつだ(移籍2年目の高木俊幸に決定した)。
そして昨年末、鈴木は新人の伊藤涼太郎(作陽高)と一緒に練習する機会があった。弱冠17歳の攻撃的ミッドフィルダーはU-18日本代表の一員として、ちょうどこの引退記者会見の時期にロシアで開催された「バレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメント」に臨み、5試合・5ゴールを決めるなどポテンシャルの高さを示している。
そんな伊藤には、「『遠慮せずにやります』と言っていたが、本当に遠慮せずにプレーしていた。独特のリズムがあり、レッズを代表する選手になっていってほしい。壁を乗り越えるだけの精神力を養い、熱い気持ちを持ってプレーしてもらいたい」とエールを送った。
また、悩みを抱える若い人たち(選手、学生、社会人……)に向けて、次のようなアドバイスも送った。
「僕が好きな言葉は、オシム監督から教えてもらった『知恵と勇気』、それに『努力は運を支配する』というふたつ。
いろいろ考えて知恵は持っているけれども、行動に移れない。逆に、なにも考えず、勇気だけで行動するだけではいけない。その両方が大切だということを、オシムさんは伝えたかったんだと思う。いろいろ考えたなかで判断して行動すること。若い選手たちには、その意味を知ってもらいたい。
僕は決して上手い選手でなかったのは事実。それでも最終的には、諦めなかった人が、なにかを掴めると思っている。
なにごとにも言えるのが、100パーセントの情熱を注げるかどうか。その結果、成功するかもしれないし、失敗してもいいと思っている。誰もがメッシやクリスチアーノ・ロナウドになれるわけではない。でも、誰もがどんな選手になるかは、今は分からない。だから、すべての情熱を注ぎ込んでほしい」
また、16年間で一番の思い出については、「よく聞かれるが、正直なところ、うまく答えられない」と胸の内を明かした。
「浦和に入団した時に、この人生が始まったので、契約の瞬間と言えるかもしれない。でも正直、『これだ』と言うのは難しい。瞬間、瞬間を大事にしてきた。今、こうして話しているのもそう。物語は続いている」
ただ、プロのキャリアのなかで、最も印象に残っている試合があったと言う。
「若い頃は『自分の背番号にしたい』と思っていたが、自分だけでなく、応援してくれるサポーターと一緒に背負っていくものだと、少しずつ気持ちが変わっていった。(後継者は)僕よりも上手い選手はたくさんいるから、僕の残像をかき消して、イメージを変えるような活躍をみせてほしい。それは僕からの挑戦状というか、乗り越えていってほしい」
1月13日に、新加入選手の記者会見が埼玉スタジアムで行われ、その際に2016年の背番号も発表される。鈴木がつけてきた「13番」が一体誰に引き継がれるのか、それとも空番になるのか、それも注目のひとつだ(移籍2年目の高木俊幸に決定した)。
そして昨年末、鈴木は新人の伊藤涼太郎(作陽高)と一緒に練習する機会があった。弱冠17歳の攻撃的ミッドフィルダーはU-18日本代表の一員として、ちょうどこの引退記者会見の時期にロシアで開催された「バレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメント」に臨み、5試合・5ゴールを決めるなどポテンシャルの高さを示している。
そんな伊藤には、「『遠慮せずにやります』と言っていたが、本当に遠慮せずにプレーしていた。独特のリズムがあり、レッズを代表する選手になっていってほしい。壁を乗り越えるだけの精神力を養い、熱い気持ちを持ってプレーしてもらいたい」とエールを送った。
また、悩みを抱える若い人たち(選手、学生、社会人……)に向けて、次のようなアドバイスも送った。
「僕が好きな言葉は、オシム監督から教えてもらった『知恵と勇気』、それに『努力は運を支配する』というふたつ。
いろいろ考えて知恵は持っているけれども、行動に移れない。逆に、なにも考えず、勇気だけで行動するだけではいけない。その両方が大切だということを、オシムさんは伝えたかったんだと思う。いろいろ考えたなかで判断して行動すること。若い選手たちには、その意味を知ってもらいたい。
僕は決して上手い選手でなかったのは事実。それでも最終的には、諦めなかった人が、なにかを掴めると思っている。
なにごとにも言えるのが、100パーセントの情熱を注げるかどうか。その結果、成功するかもしれないし、失敗してもいいと思っている。誰もがメッシやクリスチアーノ・ロナウドになれるわけではない。でも、誰もがどんな選手になるかは、今は分からない。だから、すべての情熱を注ぎ込んでほしい」
また、16年間で一番の思い出については、「よく聞かれるが、正直なところ、うまく答えられない」と胸の内を明かした。
「浦和に入団した時に、この人生が始まったので、契約の瞬間と言えるかもしれない。でも正直、『これだ』と言うのは難しい。瞬間、瞬間を大事にしてきた。今、こうして話しているのもそう。物語は続いている」
ただ、プロのキャリアのなかで、最も印象に残っている試合があったと言う。