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【コラム】トッティとローマの「愛の物語」が終焉。それでも王子はまだ「本当の決断」を…

カテゴリ:ワールド

片野道郎

2017年05月30日

マドリーやミランのオファーを拒否してローマ愛を貫く。

2000-01シーズンにローマはスクデットを獲得。トッティは決定的な仕事を連発した。(C)Getty Images

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 しかし愛するローマでは、望み得るあらゆる栄光と名誉を手に入れた。その頂点と言えるのが、中田英寿も共に戦って勝ち取った、2000-01シーズンのスクデットだった。私たち日本人にとっては、シーズン終盤のアウェーでの直接対決でユベントスと演じた2-2の激戦における、中田の活躍(1ゴール・1アシスト)がいまなお鮮烈だろう。だが、シーズンを通して主役としてチームを引っ張ったのは、やはり「ローマの第一人者」たるトッティだった。
 
 ローマに生まれ、ローマでプレーすることを夢見て育った少年が、現実となったその夢を背負ってピッチに立ち、10数年間待ち続けたスクデットを熱狂的なサポーターにプレゼントする――。ひとりのロマニスタにとってこれ以上はあり得ない頂点を極めたこの時、トッティはまだ、24歳の若者に過ぎなかった。
 
 トッティにとっては少年時代のアイドルであり、先代の「プリンチペ」であったジュゼッペ・ジャンニーニは、キャリア末期にアルゼンチン人のカルロス・ビアンチ監督から戦力外扱いされ寂しくローマを去ることを強いられた時、こう言ったという。
 
「フランチェスコ、俺はローマのサポーターとして、このユニホームだけを身につけて来たことを幸せに、また誇りに思っている。でも、もしもう一度やり直せるとしたら、ある時点でローマを去るだろうと思う。お前もロマニスタだ。そしてまだ若い。もし重要なタイトルを勝ち取りたいと思ったら、ローマを離れたほうがいい」
 
 ジャンニーニのこの助言は、ある一面から見れば間違っていたと言える。トッティは「先代」が成し得なかったスクデット獲得という偉業を、愛するローマとともに成し遂げることができたのだから。だが、「ローマの第一人者」にとどまらず「王とも言うべき人」として世界の舞台に君臨することができないまま、キャリアを閉じたという点では、当たっていたと言えるかもしれない。
 
 トッティは全盛期だった2000年代前半から半ばにかけて、カルロ・アンチェロッティ監督の下で黄金時代を築いていたミラン、そして「ロス・ガラクティコス」時代のレアル・マドリーから一度ならずオファーを受けていたという。もしここで移籍を決断していれば、スクデットはもちろんCL優勝、そしてバロンドールへの道が開かれたかもしれない。しかしトッティは頑なにそれを拒み、愛するローマでプレーを続けることにこだわり続けた。
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