中村俊輔が振り返る自身の転機――ドイツW杯で突き付けられた力不足、そしてセルティックとの幸福な関係

カテゴリ:Jリーグ

飯尾篤史

2017年08月22日

「確かなのは、100パーセントでやれば、必ずどこかで〝引っかかる〞っていうこと」

07年3月のペルー戦でドイツ・ワールドカップ以来、約9か月ぶりにA代表復帰を果たす。日本が2-0で勝利したこの試合では、2アシストを決めた。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

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 06-07シーズン中に俊輔が青のユニホームに袖を通したのは、07年3月のペルー戦だけだった。
 
「なんで呼んでくれないんだろうって、思っていた」と俊輔は振り返る。だが、彼がイビチャ・オシム監督の構想から外れていたわけではなかった。「移動や時差でコンディションを崩すリスクを冒してまで親善試合に呼ぶ必要はない」と代表監督は考えていたのだ。
 
 呼ばれていない間、親友である遠藤保仁から情報を得ていたという。
 
「ビブスを何色も使い分けているとかね。新しい選手がたくさん呼ばれたから、その顔ぶれから、どんなサッカーをしようとしているのか想像したりもした」
 
 初めて合流したペルー戦でスムーズに馴染めたのには、こうした要因があったのだ。ドイツ・ワールドカップから約9か月後、俊輔の日本代表でのチャレンジが再び始まった。

―――◆―――◆―――◆―――

 セルティックとの幸福な関係について、俊輔が改めて語る。
 
「引退したわけでもないのに歓迎してもらえるなんて幸せなことだよね。セルティック時代はすべてが上手くいった。スタジアムでは、上手く突いてボールを奪ったりすると拍手が起きるんだよ。それで、今のは良いプレーなんだって確認できたし、自信をつけさせてもらった」
 
 感謝の想いを噛み締めた俊輔は、「でも……」と続けた。
 
「本当はもっと早くスペインやイングランドに行くべきだった。4年もいたからね。居心地が良かったって言うと、言い方が悪いけど、そうなっちゃうかな」
 
 エスパニョールに移籍したのは、南アフリカ・ワールドカップの1年前。その半年後には横浜F・マリノスに復帰したが、足首の負傷に端を発したコンディション不良が原因で、日本代表でのポジションを失うことになる。
 
 失意を味わったふたつのワールドカップに挟まれるようにして燦然と輝くセルティック時代。それは起伏の激しい彼のサッカー人生を象徴するかのようだ。しかし、だからこそ、確信がある。
 
「本当になにが起こるか分からない。でも確かなのは、100パーセントでやれば、必ずどこかで〝引っかかる〞っていうこと。 南アフリカ・ワールドカップの時、3年後に自分がJリーグのMVPに輝くなんて、想像できなかったからね」
 
 いつだって俊輔はサッカーと真摯に向き合ってきた。良い時も、悪い時も、セルティックでも、日本代表でも、ジュビロ磐田でも――。これから先も、そのスタンスが変わることはない。

取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)
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