今でも大事にしている三浦淳寛からの言葉。
リーグ戦31試合に出場した太田のもとにはシーズン終了後、清水エスパルスからオファーが届いた。清水から他クラブへ移籍した日本代表DFの違約金をそのまま太田の獲得に充てるという、高評価だった。
J1で勝負したいという気持ちが高まっていた。相談していた三浦も背中を押してくれた。都並の退任も決まったため、太田は新天地での挑戦を決めた。
―――◆―――◆―――◆―――
清水で左SBとしての地位を確立した太田は、2012年に加入したFC東京で得点に絡む回数を飛躍的に伸ばし、日本代表に選出されるようになる。2016年1月に移籍したオランダのフィテッセで逞しさを増し、今オフにFC東京に復帰した。
FC東京の若い選手の中には、太田が横浜FCに所属していたことを知らない者も多いという。
「『最初の年俸は240万円、最初に買った車は18万円。そんなところからやって来たんだよ』っていう話をすると驚かれるけど、自分たちが恵まれていることに気付いてほしい。5年後、10年後も現役でいるためには、今が大事だから」
横浜FCや清水時代の同年代だけでなく、U-20日本代表のチームメイトでもスパイクを脱いだ選手がいる。
プロになったばかりの頃、同年代のプロ選手の中で底辺のほうにいたはずの自分がなぜ、ここまで順調にステップアップすることができたのか――。
そう考えた時、脳裏に浮かぶのは、三浦から告げられた言葉だ。
清水への移籍が決まり、最後の練習のあと、三浦からロッカールームにあるユニホームを取って来るよう言われた。
太田が三浦のユニホームを持って戻ると、三浦は背中にサインを入れ、こう書き添えた。
自信と過信は紙一重。
「そのユニホームは自宅の、常に目に入るところに飾ってあります。この言葉がいつも自分をコントロールしてくれた。この言葉のおかげで謙虚にやってこられたんじゃないかな」
FC東京の若手を見ると、太田はちょっともどかしくなる。自分の若い頃と比べて格段に上手いのに、ギラギラした野心を感じさせる選手が少ないからだ。
「僕なんか、先輩を蹴落としてでも試合に出たいと思ってましたから。ハートが大事だってことに彼らが気付いたら、FC東京の未来は明るいと思うんです」
だから、太田はもがいている若手がいたら、力になりたいと思っている。
あの頃の都並や三浦が自分にそうしてくれたように――。
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)
J1で勝負したいという気持ちが高まっていた。相談していた三浦も背中を押してくれた。都並の退任も決まったため、太田は新天地での挑戦を決めた。
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清水で左SBとしての地位を確立した太田は、2012年に加入したFC東京で得点に絡む回数を飛躍的に伸ばし、日本代表に選出されるようになる。2016年1月に移籍したオランダのフィテッセで逞しさを増し、今オフにFC東京に復帰した。
FC東京の若い選手の中には、太田が横浜FCに所属していたことを知らない者も多いという。
「『最初の年俸は240万円、最初に買った車は18万円。そんなところからやって来たんだよ』っていう話をすると驚かれるけど、自分たちが恵まれていることに気付いてほしい。5年後、10年後も現役でいるためには、今が大事だから」
横浜FCや清水時代の同年代だけでなく、U-20日本代表のチームメイトでもスパイクを脱いだ選手がいる。
プロになったばかりの頃、同年代のプロ選手の中で底辺のほうにいたはずの自分がなぜ、ここまで順調にステップアップすることができたのか――。
そう考えた時、脳裏に浮かぶのは、三浦から告げられた言葉だ。
清水への移籍が決まり、最後の練習のあと、三浦からロッカールームにあるユニホームを取って来るよう言われた。
太田が三浦のユニホームを持って戻ると、三浦は背中にサインを入れ、こう書き添えた。
自信と過信は紙一重。
「そのユニホームは自宅の、常に目に入るところに飾ってあります。この言葉がいつも自分をコントロールしてくれた。この言葉のおかげで謙虚にやってこられたんじゃないかな」
FC東京の若手を見ると、太田はちょっともどかしくなる。自分の若い頃と比べて格段に上手いのに、ギラギラした野心を感じさせる選手が少ないからだ。
「僕なんか、先輩を蹴落としてでも試合に出たいと思ってましたから。ハートが大事だってことに彼らが気付いたら、FC東京の未来は明るいと思うんです」
だから、太田はもがいている若手がいたら、力になりたいと思っている。
あの頃の都並や三浦が自分にそうしてくれたように――。
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)