「ファルカンはもちろん、協会の人たちにも感謝している」

一心不乱に駆け抜けたファルカン・ジャパンでの7か月。すでに現役を退いているが、48歳となった今もトレーニングを続け、「もう一度、あの舞台に立ちたいよね!」と笑顔を見せる永遠のサッカー小僧だ。(C)J.JEAGUE PHOTOS
改めて、日本代表での日々を振り返れば、「良い思い出だよ」と柔らかな笑顔を浮かべる。Jリーガーとしては、平塚でその名を挙げたあと、京都、川崎、V川崎と1年毎に所属クラブを変える時期を経て、仙台に落ち着き、名古屋でもプレー。度重なる怪我に悩まされて、一時はピッチから遠ざかったが、ニュージーランドのオークランド・シティで復帰を果たし、クラブワールドカップにも出場した。
「もがいたし、反抗してシーズン途中にクラブを退団したこともあったけど、すべてをひっくるめて、良い経験をさせてもらった。代表では、ファルカンはもちろん、協会の人たちにも感謝している。自分という人間を大きくしてくれた、成長させてくれたサッカー人生だった」
現役を退いてしばらくしてから、ある取材時に確認したことがある。「肩書き、どうしますか?」と。ほんの少しだけ思案して、テルは答えた。「フットボール・トラベラーでいいんじゃない」。
現在、48歳。午前中はトレーニングに励んでいる。
「ファルカン・ジャパンが終わった後も、常に代表は目指していたし、それは今も変わらないよ。今日も400メートル走、がっつりやったしね(笑)。もう一度、あの舞台に立ちたいよね!」
テルは相変わらず、果てしないサッカーの旅路を歩いている。
「もがいたし、反抗してシーズン途中にクラブを退団したこともあったけど、すべてをひっくるめて、良い経験をさせてもらった。代表では、ファルカンはもちろん、協会の人たちにも感謝している。自分という人間を大きくしてくれた、成長させてくれたサッカー人生だった」
現役を退いてしばらくしてから、ある取材時に確認したことがある。「肩書き、どうしますか?」と。ほんの少しだけ思案して、テルは答えた。「フットボール・トラベラーでいいんじゃない」。
現在、48歳。午前中はトレーニングに励んでいる。
「ファルカン・ジャパンが終わった後も、常に代表は目指していたし、それは今も変わらないよ。今日も400メートル走、がっつりやったしね(笑)。もう一度、あの舞台に立ちたいよね!」
テルは相変わらず、果てしないサッカーの旅路を歩いている。
<エピローグ>
もしかしたら、自分もこの舞台に立っていたかもしれないのに――そんな風には思わなかった。
1997年11月16日の深夜。98年のフランス・ワールドカップのアジア最終予選、アジア第3代表決定戦の日本対イラン。この試合に勝てば、日本のフランス行きが決まる。
118分、劇的なVゴールを決めたのは、小学校時代に横浜市選抜で一緒にプレーした同い年の岡野雅行だ。平塚のチームメイト、中田英寿や呂比須ワグナー、プレーヤーとしても尊敬している名良橋晃、自分の代表デビュー戦では「行くぞ、テル!」の掛け声で緊張をほぐしてくれた井原正巳、憧れの存在であるカズもいる。心から日本代表を応援していた。妬みやひがみといった負の感情は、まったくなかった。
なかでも、画面を通じて中田の凄みを再確認した。スコアは3-2。日本のすべての得点を、中田が演出した。中山雅史の先制点、城彰二の同点弾をアシスト。岡野がプッシュしたボールは、中田が放った強烈なミドルを相手GKが弾いた、そのこぼれ球だった。
「ヒデの実力はベルマーレで間近で見ているから。やっぱり、あれぐらいじゃないと、この舞台には立てないんだなって。自分はそこに及んでいないと思っていた。それは認めていたから、純粋に応援できた」
“ドーハの悲劇”の時は、タイムアップを待たずに眠りについたが、今度は寝なかった。リアルタイムで“ジョホールバルの歓喜”を見届けて、ベッドにもぐりこんだ。
<完>
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
もしかしたら、自分もこの舞台に立っていたかもしれないのに――そんな風には思わなかった。
1997年11月16日の深夜。98年のフランス・ワールドカップのアジア最終予選、アジア第3代表決定戦の日本対イラン。この試合に勝てば、日本のフランス行きが決まる。
118分、劇的なVゴールを決めたのは、小学校時代に横浜市選抜で一緒にプレーした同い年の岡野雅行だ。平塚のチームメイト、中田英寿や呂比須ワグナー、プレーヤーとしても尊敬している名良橋晃、自分の代表デビュー戦では「行くぞ、テル!」の掛け声で緊張をほぐしてくれた井原正巳、憧れの存在であるカズもいる。心から日本代表を応援していた。妬みやひがみといった負の感情は、まったくなかった。
なかでも、画面を通じて中田の凄みを再確認した。スコアは3-2。日本のすべての得点を、中田が演出した。中山雅史の先制点、城彰二の同点弾をアシスト。岡野がプッシュしたボールは、中田が放った強烈なミドルを相手GKが弾いた、そのこぼれ球だった。
「ヒデの実力はベルマーレで間近で見ているから。やっぱり、あれぐらいじゃないと、この舞台には立てないんだなって。自分はそこに及んでいないと思っていた。それは認めていたから、純粋に応援できた」
“ドーハの悲劇”の時は、タイムアップを待たずに眠りについたが、今度は寝なかった。リアルタイムで“ジョホールバルの歓喜”を見届けて、ベッドにもぐりこんだ。
<完>
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)