「辛いことのほうが多かったかな、代表は」
「結局、俺のサイドからやられた。左サイドからえぐられて……」
失点に絡んでしまった。痛恨だった。今さら“たら・れば”の話をしてもしょうがないが、相手のアーリークロスに柱谷が競りに行った時、そこに加わらなければ、その後の展開で違う対応ができたかもしれない。あのセンタリングもブロックできたかもしれない。
しかし、それも後講釈でしかない。件のシーンで、苦手としているヘディングで柱谷に加勢したのも、「俺がやらなければ」という思いからだった。
その後、日本は井原のスーパーミドルで同点に追いつくが、終了間際にその井原がPKを献上。これをファン・ソンホンに沈められ、2-3で敗れ去った。
目標としていた優勝はおろか、ベスト4にも進めず、ファルカンは解任。「残念だったし、自分を見出してくれたファルカンには申し訳ないし、悔しさもいっぱいある」とアジア大会を総括するテルにとっても、激戦となった韓国戦が代表でのラストマッチになった。
失点に絡んでしまった。痛恨だった。今さら“たら・れば”の話をしてもしょうがないが、相手のアーリークロスに柱谷が競りに行った時、そこに加わらなければ、その後の展開で違う対応ができたかもしれない。あのセンタリングもブロックできたかもしれない。
しかし、それも後講釈でしかない。件のシーンで、苦手としているヘディングで柱谷に加勢したのも、「俺がやらなければ」という思いからだった。
その後、日本は井原のスーパーミドルで同点に追いつくが、終了間際にその井原がPKを献上。これをファン・ソンホンに沈められ、2-3で敗れ去った。
目標としていた優勝はおろか、ベスト4にも進めず、ファルカンは解任。「残念だったし、自分を見出してくれたファルカンには申し訳ないし、悔しさもいっぱいある」とアジア大会を総括するテルにとっても、激戦となった韓国戦が代表でのラストマッチになった。
「激動だったよね。94年は。現役としてのキャリアは4年目だけど、プロとしては1年目で、いろんな面で勝手が分からず、探り探りというか。代表も、最初はもう勢いでやるしかなかった。いいこともたくさんあったけど、辛いことのほうが多かったかな、代表は」
わずか7か月の短命に終わったファルカン・ジャパンとともに、前だけを見据えて駆け抜けようとした。前途洋々な20代前半、端正なルックスも相まって、高まる注目度と期待度をひしひしと感じていた。
「まだ若かったからね。調子に乗っていたつもりはないんだけど、もしかしたら浮足立っていたのかもしれない」
歳を重ねた今なら、周囲の様々な評価にも「そう思っているなら、それでいいんじゃない。メディアもそれが仕事だし。別に気にならないよ」と言える。だが、特にアジア大会の時は、そんな余裕はなかった。かかる期待に押しつぶされそうになった。
ファルカン・ジャパン以後、テルは日の丸と無縁になった。「あの後、良い選手がいっぱい出てきたからね」。ただ、まったくチャンスがないわけではなかった。
「02年の時かな。J1で、ベガルタで活躍していて。声がかかりそうな雰囲気はあったけど、数か月後にはワールドカップが始まるとかで、具体的な話に発展しなかった。時間が足りなかったんだろうね。あと、ジーコが監督になった時も『どう?』みたいなのはあった。でも、その時は肉離れしていて、結局ダメだった」
わずか7か月の短命に終わったファルカン・ジャパンとともに、前だけを見据えて駆け抜けようとした。前途洋々な20代前半、端正なルックスも相まって、高まる注目度と期待度をひしひしと感じていた。
「まだ若かったからね。調子に乗っていたつもりはないんだけど、もしかしたら浮足立っていたのかもしれない」
歳を重ねた今なら、周囲の様々な評価にも「そう思っているなら、それでいいんじゃない。メディアもそれが仕事だし。別に気にならないよ」と言える。だが、特にアジア大会の時は、そんな余裕はなかった。かかる期待に押しつぶされそうになった。
ファルカン・ジャパン以後、テルは日の丸と無縁になった。「あの後、良い選手がいっぱい出てきたからね」。ただ、まったくチャンスがないわけではなかった。
「02年の時かな。J1で、ベガルタで活躍していて。声がかかりそうな雰囲気はあったけど、数か月後にはワールドカップが始まるとかで、具体的な話に発展しなかった。時間が足りなかったんだろうね。あと、ジーコが監督になった時も『どう?』みたいなのはあった。でも、その時は肉離れしていて、結局ダメだった」