ワッキーが大学寮を夜逃げ? コンビを結成するまでの経緯とは?
ヒデ:僕が大学3年の時、ワッキーが2年の時にJリーグが開幕したので、高校卒業時はJリーグがなかった時代で、大学に進学する選手がほとんどでした。一方でずっと小学校から一緒にやっていた名良橋くんのように限られた人間がJリーグの前身である日本リーグに行くような時代でした。
ワッキー:小3からサッカーをやっていましたが、ずっと膝が痛くて、大学になってからいろんなお医者さんを回ったのですが、『もう無理じゃないかな』とドクターストップがかかってしまったんです。なので、私は専修大の寮を夜逃げしてしまったんです。一応4年間はサッカー部に在籍をしていたのですが、卒業することが出来ず中退となりました。一応、市船と専修大のパイプを汚して中退したわけではないということを伝えておきます(笑)。
ヒデ:1年生早々に、寮に全てひらがなの置き手紙で『さがさないでください』と残していなくなったんです。
ワッキー:結果、誰も探さなかった(笑)。
ヒデ:ご本人の意思を尊重して私は一回も探しませんでした(笑)。
ワッキー:小3からサッカーをやっていましたが、ずっと膝が痛くて、大学になってからいろんなお医者さんを回ったのですが、『もう無理じゃないかな』とドクターストップがかかってしまったんです。なので、私は専修大の寮を夜逃げしてしまったんです。一応4年間はサッカー部に在籍をしていたのですが、卒業することが出来ず中退となりました。一応、市船と専修大のパイプを汚して中退したわけではないということを伝えておきます(笑)。
ヒデ:1年生早々に、寮に全てひらがなの置き手紙で『さがさないでください』と残していなくなったんです。
ワッキー:結果、誰も探さなかった(笑)。
ヒデ:ご本人の意思を尊重して私は一回も探しませんでした(笑)。
ワッキー:探しなさい! そこから2、3年は大学生ではあったのですが、プータローのような生活をするんです。それでヒデさんが4年生になった時に、2、3年ぶりに僕は専修大のサッカー部の寮に遊びに行ったんです。当時の4年生はめちゃくちゃいい人ばかりで、仲良かったので、ふと『会いに行きたいな』と思って……。それでサッカー部の寮の部屋を適当に開いた最初の部屋にヒデさんがいたんです。ドアを開けたらヒデさんが座っていて、『うわ、ヤベェ』と閉めたら、『おおお~い、挨拶わい!』と言われて、『便所に来い』と言われて、共同便所に連れて行かれて、『めっちゃ怒られる』と思ったら、『俺と一緒にお笑いやらないか』と言われたんです。そこからしばらくして、ヒデさんが大学を卒業してから、僕が大学4年になった年に吉本興業に入りました。市船でサッカーをやっていたときには2人でコンビ組んでお笑いやろうと思っていなかったけど、何かの縁で芸人になってコンビを組んで27年目ですよ。
2人のこれまでの歩みで盛り上がったが、ここから話は2人の『人生の教訓』と『後輩に伝えたいこと』の思いが込められたメッセージへと変わっていく――。
※後編に続く
取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)