ドーハ後の生き地獄。そして解放【福田正博が語る“オフトジャパンの真実”EP7】

カテゴリ:日本代表

白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

2020年05月14日

「後悔はない。これ以上のことを望んだらいけない、贅沢だよ」

激動の時代を生きた福田。オフトジャパン、浦和での勇姿をファン・サポーターは決して忘れない。写真:Jリーグフォト

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 得点王になった95年から25年の時を経て、福田はすっかり客観視できるようになっている。オフトジャパンで戦っていた頃の自分も次のように分析している。

「当時は100パーセントの自分を求めすぎた。毎試合100パーセントなんて発揮できないのに、そうやって変なプレッシャーをかけて焦りを生んでいた。思うようにプレーできないから、どんどん悪い方向にいく。期待していた自分に裏切られたという意味で打ちのめされた。挫折という言葉が適切かどうかは分からないけど、とにかく打ちのめされた。立ち上がれないくらい打ちのめされたね」

 ただ、悲願のワールドカップに出場できなかったものの、プロサッカー選手として、代表戦士として良い時代を生きたという自負がある。

「(日本のサッカー界が)急激な変化を遂げる、まさにそういう時代に身を置けた。自分たちで変えて行けるという使命感があったし、いろんなことをやろうと思っていた。だから、まったく後悔はない。これ以上のことを望んだらいけない、贅沢だよ。その前に盛り上げてくれた諸先輩方に失礼だよ。横山(謙三)さん、森(孝慈)さん、川淵(三郎)さん、そういう人たちの尽力によってJリーグ、代表戦という舞台に上がれたわけだから。ラッキーだったよ。言うなれば、明治維新みたいな時代に選手として戦えた。インパクトが強い時代だから、ドーハ世代は顔と名前が一致する。面白いことに、ワールドカップに出た選手よりも俺たちのほうがチームとして顔と名前を覚えてもらえているんだから(笑)。そんなものだよ」

「(ドーハの悲劇は)できれば話したくない話」と福田は言うけれど、その話しぶりには熱いものが感じられた。明治維新前後の激動期を生きた“サムライ”の言葉には、どんな時代も日本サッカーを盛り上げなければいけないという使命感が確かに宿っていた。

取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

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95年にJリーグで得点王になったことが大きなターニングポイントだったと福田は語ってくれた。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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