ドーハ後の生き地獄。そして解放【福田正博が語る“オフトジャパンの真実”EP7】

カテゴリ:日本代表

白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

2020年05月14日

ついに訪れた解放の時

95年シーズンのJリーグで得点王とベストイレブンをダブル受賞。その表情は晴れやかだった。写真:Jリーグフォト

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 追い打ちをかけたのは浦和のチーム状況だった。93年の第1、第2ステージ(当時は2ステージ制)に続き、94年の第1ステージも最下位、年間順位でも2シーズン続けて最下位とどん底にいた。Jリーグ創成期、浦和は「Jリーグのお荷物」と呼ばれるほど“負け癖”が染みついていたのである。

 93年シーズンのJリーグでわずか4ゴールに終わった福田は、続く94年シーズンもパッとしない。怪我もあり、リーグ戦で6ゴールとエースに相応しくない成績を残した。

「チームの状態も、自分の調子も悪い。(ドーハから帰国後はしばらく)ピッチに立つのも怖いくらいだった。次の年(94年)も怪我があって思うようにいかない」
 
 ファンの期待に応えないといけないという思いはあった。しかし、実際はまったくと言っていいほど現実と向き合えなかった。

「現実を受け入れる勇気がなかった。なぜダメだったのか、それを受け入れることができなかった。今だから『(ドーハで)何もできなかった』と言えるけど、当時はそんなことを言えるわけがない。仮に本音を漏らしたら自分がダメになってしまうというか、そういうプレッシャーを受けているように見せたくなかった。すべてのことから逃げていたのかもしれない。(ドーハの悲劇について)喋らない、触れないというのは逃げていることだからね」

 95年シーズンも開幕当初は上手くいかなかった。しかし、5月10日のガンバ大阪戦あたりからゴールを量産していくようになる。鋭い突破でPKを獲得すれば、そのPKを冷静に決める。エリア内でパスを受ければ、正確なフィニッシュワークでゴールに突き刺す。就任1年目のホルガ―・オジェック監督の下、バイン、ブッフバルト、岡野雅行ら仲間のサポートもあり、チームの躍進に貢献。自身は32ゴールで日本人初のJリーグ得点王に輝き、同年のベストイレブンにも選ばれた。

「いろんなプレッシャーから解き放たれたのは、得点王を獲ったあとじゃないかな。そこで初めて解放された気がする。自分が弱いとか、重圧に押しつぶされるとか、普通は認めたくないよね。でも、得点王になって、そういうものも受け入れないといけないというスタンスになった。ある意味向き合うことができるようになったというか。格好良くいうとね。それで(ドーハのことについても)話せるようになっていったかな、徐々に」
 
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