ブラジルの“皇帝”は得点王とMVPをダブル受賞
アドリアーノ(ブラジル代表/FW)
強靭な体躯を持ち、左足から強烈なシュートを叩き込んで「インペラトーレ」(皇帝)と呼ばれた。
2000年、18歳でブラジルの名門フラメンゴからデビュー。01年にインテルへ移籍したが、まだ敷居が高く、中堅クラブへ貸し出された。
ブラジル代表には00年に初招集され、22歳で04年のコパ・アメリカに出場。コスタリカ戦でハットトリックを記録するなど絶好調で、アルゼンチンとの決勝戦に臨む。終了間際までリードを許していたが、93分、ゴール前でボールを左足で浮かしながら反転し、左足を一閃。セレソンは土壇場で追いつき、PK戦を制して雄叫びを上げる。
若きストライカーは7得点をあげ、得点王とMVPをダブル受賞した。
この大会後、インテルで攻撃の柱となり、代表でも06年からワールドカップに連続出場した。しかし、私生活の乱れから若くして引退。結果的に、04年のこの大会が「皇帝」がブレイクすると同時にキャリアで最も輝いた時となった。
文●沢田啓明
強靭な体躯を持ち、左足から強烈なシュートを叩き込んで「インペラトーレ」(皇帝)と呼ばれた。
2000年、18歳でブラジルの名門フラメンゴからデビュー。01年にインテルへ移籍したが、まだ敷居が高く、中堅クラブへ貸し出された。
ブラジル代表には00年に初招集され、22歳で04年のコパ・アメリカに出場。コスタリカ戦でハットトリックを記録するなど絶好調で、アルゼンチンとの決勝戦に臨む。終了間際までリードを許していたが、93分、ゴール前でボールを左足で浮かしながら反転し、左足を一閃。セレソンは土壇場で追いつき、PK戦を制して雄叫びを上げる。
若きストライカーは7得点をあげ、得点王とMVPをダブル受賞した。
この大会後、インテルで攻撃の柱となり、代表でも06年からワールドカップに連続出場した。しかし、私生活の乱れから若くして引退。結果的に、04年のこの大会が「皇帝」がブレイクすると同時にキャリアで最も輝いた時となった。
文●沢田啓明