【連載・東京2020】遠藤渓太/中編「”幼馴染でありライバル”の存在が刺激になった」

カテゴリ:日本代表

サッカーダイジェスト編集部

2019年06月10日

幼馴染でライバルの和田は大きな存在だった。いつか追いつこうと――

幼馴染でありライバルだった和田(現秋田)の存在は大きな刺激に。「いつか追いつこうと必死だった」写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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――和田選手も愚痴を言うタイプでしたか?
「そうでしたね(笑)」
 
――小学校から苦楽をともにした和田選手はやはり刺激に?
「はい。大きな存在でした。昌士は小学校時代から有名で、本当に凄かった。マリノスのジュニアユース、ユースにもトントン拍子で上がって。ジュニアユースの時には、ひと足早くユースの練習に参加していました。なかなか、いないんですよ、そういう選手って。ユース時代にはイングランドのマンチェスター・シティに留学したりとか、トップチームのプレシーズンマッチで点を取ったりとか……。あれは高1の時だったかな。僕はボールボーイをやっていたんですけど、あいつは普通に先輩の中に混じって試合でバリバリやっているんですよ。『こいつ、やっぱり凄いな』って思いましたね」
 
――身近に、ひとつ先をいく存在がいて、焦りもあったのでは?
「それは間違いありません。いつか追いつこうと必死でした。でも高3になってから、追いつけてきたのかなって実感も徐々に沸いてきました。だから俺らふたりでチームを引っ張って日本一になれるんじゃないかって」
 
――16年にトップチーム昇格後、より多くの出番を掴んだのは遠藤選手でした。逆転できた要因は?
「たぶん、運です。最初にチャンスが巡って来たのが僕で、その試合で勝てたのがなによりも大きかった(16年第1ステージの新潟戦。2-1で勝利)。その年は開幕から2試合勝てていなくて、どうしても落とせない試合だったから、あそこで引き分けたり負けていたりしたら、僕はそれから使ってもらえなかったかもしれません。そこでアピールできたからこそ、今の僕の立場がある。そういう運があっただけです、僕には」
 
――いわゆる“持っている”選手だったと。
「そういうことになりますね(笑)」
 
――とはいえ運があるのは、大きな強みです。
「それは自分でも思います」
 
――今は別のチームですが、和田選手とは今でも連絡を取っている?
「ラインはぼちぼちしますけど。会う機会はやっぱりほとんどないですね。昌士が横浜に帰ってきた時くらいです」
 
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