Jリーグ元年の時に経験した「スタジアムが人を育てる」。
スタジアムは人を育てる。僕にはそうしたことを実感できた経験がある。
僕の実家、静岡には世界遺産にも登録される日本平をバックにスタジアムがある。清水エスパルスのホームグラウンドだ。
Jリーグが発足した時にはなかったが、それこそ市民、県民が一体となって声を上げ、生み出したものだ。この新スタジアムの誕生によって、サッカーを見に来るファン・サポーターが増え、メディアが増え、それによって刺激を受けた選手たちがピッチで果敢にファイトし続け、それまでのアマチュア的な考えを捨て去り、プロフェッショナルとして成長していった。
ひとつのスタジアムの誕生からファン・サポーター、メディア、選手がともに成長していったという話だ。それを僕はJリーグ元年。前哨戦(開幕前の92年)となるナビスコカップ(当時)の時に、選手として実感したのだ。
数か月前はアマチュアだった僕らがプロリーグになっただけで、監督の指導だけが成長を促すのではなく、環境が人を育てるのだと思い知ることができた。
そして、やはり鹿児島という地にいるからこそ言いたい。鹿児島サッカーには大きなポテンシャルがある。現役で言えば、遠藤保仁(ガンバ大阪)や大迫勇也(ケルン/ドイツ)、あるいは過去には前園真聖や城彰二、平瀬智行や久永辰徳といった有名な才能のある選手が県外に出て行った。
今年もそうである。神村学園の髙橋大悟、鹿児島城西の生駒仁は、それぞれエスパルス、F・マリノスでプロの道を歩むことになった。
将来、彼らのような選手たちが、プロとしてのファーストキャリアで「地元だから」と選ぶようなクラブになるために――。
そして今の鹿児島が抱える問題。働く場所を県外に選び地元に魅力を感じない人たちを鹿児島のためにと考える未来に。そうした未来を描くために、サッカースタジアムは大きな刺激と感動を生み出すものだと僕は信じている。
今こそ、県民、市民がまとまる時だと僕は思う。
2018年2月10日
三浦泰年
僕の実家、静岡には世界遺産にも登録される日本平をバックにスタジアムがある。清水エスパルスのホームグラウンドだ。
Jリーグが発足した時にはなかったが、それこそ市民、県民が一体となって声を上げ、生み出したものだ。この新スタジアムの誕生によって、サッカーを見に来るファン・サポーターが増え、メディアが増え、それによって刺激を受けた選手たちがピッチで果敢にファイトし続け、それまでのアマチュア的な考えを捨て去り、プロフェッショナルとして成長していった。
ひとつのスタジアムの誕生からファン・サポーター、メディア、選手がともに成長していったという話だ。それを僕はJリーグ元年。前哨戦(開幕前の92年)となるナビスコカップ(当時)の時に、選手として実感したのだ。
数か月前はアマチュアだった僕らがプロリーグになっただけで、監督の指導だけが成長を促すのではなく、環境が人を育てるのだと思い知ることができた。
そして、やはり鹿児島という地にいるからこそ言いたい。鹿児島サッカーには大きなポテンシャルがある。現役で言えば、遠藤保仁(ガンバ大阪)や大迫勇也(ケルン/ドイツ)、あるいは過去には前園真聖や城彰二、平瀬智行や久永辰徳といった有名な才能のある選手が県外に出て行った。
今年もそうである。神村学園の髙橋大悟、鹿児島城西の生駒仁は、それぞれエスパルス、F・マリノスでプロの道を歩むことになった。
将来、彼らのような選手たちが、プロとしてのファーストキャリアで「地元だから」と選ぶようなクラブになるために――。
そして今の鹿児島が抱える問題。働く場所を県外に選び地元に魅力を感じない人たちを鹿児島のためにと考える未来に。そうした未来を描くために、サッカースタジアムは大きな刺激と感動を生み出すものだと僕は信じている。
今こそ、県民、市民がまとまる時だと僕は思う。
2018年2月10日
三浦泰年