最初はいても5年くらいかなと考えてた。
ワールドユースに前後して、遠藤のプロキャリアはのっけから波乱含みだった。
鳴り物入りで入団した横浜フリューゲルスは1年目でクラブが消滅。同期入団の手島和希、辻本茂輝とともに京都サンガに新天地を求めた。ボランチのレギュラーの座をすぐさま射止め、三浦知良、パク・チソン、松井大輔らとサンガ歴代最強布陣を構築したが、在籍2年目の2000年シーズンにチームは降格。21歳にして2度目の鞍替えを決意する。
選択肢はいくつかあったという。ではなぜ、タイトルをひとつも獲ったことがない中堅クラブ、ガンバ大阪を選んだのか。
「サッカーが云々というよりは、純粋にメンバーが良かったから。ピンと来た。3、4年後に絶対強くなると。
その前にシドニー(オリンピック)があって、ガンバにはそのメンバーがたくさんいたもんね。都築(龍太)さん、コウタ(吉原宏太)くん、イナ、ツネさん(宮本恒靖)がいて、同い年でハッシー(橋本英郎)とイバ(新井場徹)もいた。そこにサトシ(山口智)が加わるのも聞いてたから、順調に育てば、それなりに強いやろうと。
けっこうメンバーは入れ替わりがあったけど、着実に力を付けていった。クラブも補強にお金を使うようになっていって、いい外国人が入ってきたりね。俺の見立ては間違ってなかったと思った」
だが、ガンバでの初タイトルは、入団5年目の2005年シーズンまで待たなければならなかった。
「まあ時間はかかったけど、そんなもんじゃないのかな。ビッグタイトルを獲ったチームって、そのあと獲れなくなるか、ずっとなにかしら獲り続けるかのどっちかでしょ。ガンバはなんだかんだで獲り続けてる。そこは大きな違いだと思うから。
21歳でガンバが3チーム目だったんで、最初はいても5年くらいかなと考えてた。移籍ってかならずしも悪いことじゃない。そんな価値観があったから、ずっと長く同じチームにいたいとは思ってなかった。転々としすぎるのは良くないけど、居続けるのもどうかなってイメージ。だから、優勝争いをしてなかったら移籍してたかもしれない」
ガンバでのJリーグ出場は513試合を数え、95ゴールを叩き出している。もちろん、どちらの数値もクラブ歴代最多だ。
今季で在籍17年目。長かった? それともあっという間だった?
「17年目ねぇ……。長かったかなぁ、うーん、長いかも。いや、絶対に長い。短くはないわ(笑)」
<♯3につづく>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
※5月30日配信予定の次回は、ガンバでの栄光の日々をあますところなくカバー。そしてあの「コロコロPK」の誕生秘話も!? こうご期待!
―――――――――――◆―――――――――◆――――――――――――
PROFILE
えんどう・やすひと/1980年1月28日生まれ、鹿児島県桜島町出身。桜州小、桜島中と地元チームでサッカーに親しみ、高校は名門・鹿児島実に進学。1年時から試合に出場し、中盤の要として奮闘した。1998年、横浜Fに鳴り物入りで入団するも、クラブは1年で消滅。翌年のワールドユースでは1ボランチでレギュラーを確保し、銀メダル奪取に寄与した。2001年には2シーズンを過ごした京都からG大阪へ移籍。以後、16シーズンに渡って浪速の雄の主軸として活躍し、2度のJ1リーグ優勝やアジア制覇など9つのタイトルを獲得した。02年のAマッチデビューから、日本代表での実働期はおよそ13年に及んだ。歴代最多152試合出場(15得点)は簡単には破られない大記録だ。ワールドカップには06年、10年、14年大会と3大会連続で出場した。Jリーグ・ベスト11は12回受賞(歴代最多)。09年アジア年間最優秀選手、14年JリーグMVP。Jリーグ通算/581試合・105得点(うちJ1は548試合・100得点)。178㌢・75㌔。AB型。データはすべて2017年5月23日現在。
鳴り物入りで入団した横浜フリューゲルスは1年目でクラブが消滅。同期入団の手島和希、辻本茂輝とともに京都サンガに新天地を求めた。ボランチのレギュラーの座をすぐさま射止め、三浦知良、パク・チソン、松井大輔らとサンガ歴代最強布陣を構築したが、在籍2年目の2000年シーズンにチームは降格。21歳にして2度目の鞍替えを決意する。
選択肢はいくつかあったという。ではなぜ、タイトルをひとつも獲ったことがない中堅クラブ、ガンバ大阪を選んだのか。
「サッカーが云々というよりは、純粋にメンバーが良かったから。ピンと来た。3、4年後に絶対強くなると。
その前にシドニー(オリンピック)があって、ガンバにはそのメンバーがたくさんいたもんね。都築(龍太)さん、コウタ(吉原宏太)くん、イナ、ツネさん(宮本恒靖)がいて、同い年でハッシー(橋本英郎)とイバ(新井場徹)もいた。そこにサトシ(山口智)が加わるのも聞いてたから、順調に育てば、それなりに強いやろうと。
けっこうメンバーは入れ替わりがあったけど、着実に力を付けていった。クラブも補強にお金を使うようになっていって、いい外国人が入ってきたりね。俺の見立ては間違ってなかったと思った」
だが、ガンバでの初タイトルは、入団5年目の2005年シーズンまで待たなければならなかった。
「まあ時間はかかったけど、そんなもんじゃないのかな。ビッグタイトルを獲ったチームって、そのあと獲れなくなるか、ずっとなにかしら獲り続けるかのどっちかでしょ。ガンバはなんだかんだで獲り続けてる。そこは大きな違いだと思うから。
21歳でガンバが3チーム目だったんで、最初はいても5年くらいかなと考えてた。移籍ってかならずしも悪いことじゃない。そんな価値観があったから、ずっと長く同じチームにいたいとは思ってなかった。転々としすぎるのは良くないけど、居続けるのもどうかなってイメージ。だから、優勝争いをしてなかったら移籍してたかもしれない」
ガンバでのJリーグ出場は513試合を数え、95ゴールを叩き出している。もちろん、どちらの数値もクラブ歴代最多だ。
今季で在籍17年目。長かった? それともあっという間だった?
「17年目ねぇ……。長かったかなぁ、うーん、長いかも。いや、絶対に長い。短くはないわ(笑)」
<♯3につづく>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
※5月30日配信予定の次回は、ガンバでの栄光の日々をあますところなくカバー。そしてあの「コロコロPK」の誕生秘話も!? こうご期待!
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PROFILE
えんどう・やすひと/1980年1月28日生まれ、鹿児島県桜島町出身。桜州小、桜島中と地元チームでサッカーに親しみ、高校は名門・鹿児島実に進学。1年時から試合に出場し、中盤の要として奮闘した。1998年、横浜Fに鳴り物入りで入団するも、クラブは1年で消滅。翌年のワールドユースでは1ボランチでレギュラーを確保し、銀メダル奪取に寄与した。2001年には2シーズンを過ごした京都からG大阪へ移籍。以後、16シーズンに渡って浪速の雄の主軸として活躍し、2度のJ1リーグ優勝やアジア制覇など9つのタイトルを獲得した。02年のAマッチデビューから、日本代表での実働期はおよそ13年に及んだ。歴代最多152試合出場(15得点)は簡単には破られない大記録だ。ワールドカップには06年、10年、14年大会と3大会連続で出場した。Jリーグ・ベスト11は12回受賞(歴代最多)。09年アジア年間最優秀選手、14年JリーグMVP。Jリーグ通算/581試合・105得点(うちJ1は548試合・100得点)。178㌢・75㌔。AB型。データはすべて2017年5月23日現在。