”戦えない”レッテルを貼られた増嶋竜也が、「今となっては良かった」と語る挫折とは

カテゴリ:Jリーグ

飯尾篤史

2017年05月26日

「初めて『監督のためにやろう』と思った」。

08年から3シーズン在籍した京都ではSBも経験。不慣れなポジションでも受け入れ、DFとしての幅を広げた。(C)SOCCER DIGEST

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 実は07年シーズンにもうひとつ、増嶋は打ちのめされる経験をしていた。
 
 甲府で試合経験を積み、逞しいDFへと変貌しつつあった5月末、増嶋は北京五輪への出場を目指すU-22日本代表候補の合宿に招集された。
 
 増嶋がこのチームに選出されるのは、立ち上げとなった06年8月以来、10か月ぶりのことだった。
 
 すでに最終予選進出を決めていたU-22日本代表は、6月6日に控えるマレーシア代表との2次予選で新戦力を試そうと、この合宿を組んだのだ。

 呼ばれたのは、このチームでの実績が少ない22人の選手たち。2日に渡って練習試合が組まれ、最終日にマレーシア戦に臨む19人が絞り込まれた。外された3人のうちのひとりが、増嶋だった。
 
 J2でも試合に出られていない選手や大学生が選出されたのに、J1で出場している増嶋が落選したのだ。

 一度貼られた「戦えない」とのレッテルを剥がしてもらえなかったのか、あるいは、まだ甘いという判断だったか。
 
「悔しかったですね……。試合経験も積んだし、まだまだ生き残るぞ、って思いながら臨んだ合宿でした。自信もあったから、帰された時は辛かった。ここからどんどん落ちていくのかなって……。TVで代表戦を見るのは、メンタル的にキツかったです」
 
 07年12月に左足首の手術を受けた増嶋は、退院からしばらく経った頃、FC東京の先輩である土肥洋一とリハビリがてら、ゴルフのラウンドを回った。
 
「『チーム、悩んでるんすよ』って言ったら、『大丈夫』って励ましてくれたんですけど、生きた心地がしなくて」
 
 まったく集中できずにラウンドしている最中に、増嶋の携帯が鳴った。代理人からの電話だった。
 
「『京都サンガからオファーが来たけど、どうする?』って。そのあと(加藤)久さんと強化部の方が東京まで来てくれて『一緒にやろう』って。監督からそんなふうに言われたことがなかったから、とにかく嬉しくて。初めて『監督のためにやろう』と思った日でした」
 
―――◆―――◆―――
 
 監督直々のオファーは増嶋にとって、天から垂れてきた蜘蛛の糸だった。その糸を力の限り登っていくなかで、増嶋はさらなるタフさや武器を身に付けていく。
 
 加藤からはロングスローを見出され、スロワーを務めるようになった。コーチの秋田豊からはジャンプやヘディングの仕方を学んだ。チームメイトで後にコーチとなる森岡隆三からはトラップやビルドアップのコツを教わった。
 
 加藤も秋田も森岡も、元日本代表のDFである。増嶋にとってこれ以上ない環境だった。
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