【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(中編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年05月18日

サッカーに没頭できる環境は、恐ろしいくらいに整っていた。

島民が協力して整えた溶岩グランド。ヤットはここで、メキメキと頭角を現わしていった。写真提供:遠藤武義

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 そんなこともあった小5の頃、町を二分するほどのライバル関係にあった桜州と桜峰は、合併を果たして名を桜島少年団に変えた。
 
 そしてその先にあるのは、町内で唯一の中学校だった桜島中。ただでさえタレント揃いで無敵を誇っていた“桜島ユナイテッド”は、小学校レベルでの合併を経て、さらにチーム力が強固になっていた。桜州少年団の藤崎監督は以降、桜島中のコーチとなり、現在に至っている。
 
「三兄弟がすくすく育ったのは、ご両親のおかげ。サッカー、スポーツに対する理解があってこそだし、その愛情は他の町の子どもたちにも分け隔てなく注がれました。役所に勤められていたお父さん(武義)には当時、役所のマイクロバスを活用してもらい、子どもたちの遠征などに協力していただき、いつでも温かい眼で見守ってくれました。そういった熱い思いは、桜島の人びとみんなに共通している。私は子どもたちにそうとう厳しく接しましたが、いつも理解を示してもらった。少年団からは何人ものJリーガーが育っていますが、それも、この桜島の風土があってこそ。これからも伝統として残っていくものだと思います。どうしようもなく負けず嫌いなところも含めてですが(笑)」
 
 少年団は、月謝などを一切徴収しなかった。指導者ももちろん無償のボランティアで、何年かに一度新調するユニフォームの資金は、町の家々が薩摩焼酎のビンなどを差し出して現金に換え、協力し合って捻出してきた。前述の溶岩グラウンド然り、である。
 
 人口4000人強の小さな町から続々と輩出された名手たち。遠藤三兄弟の華麗なるストーリーも、決して偶然ではなく、必然から生まれたものだということが分かる。サッカー小僧たちが没頭できる環境は、恐ろしいくらいに整っていたのだ。

<後編へ続く>

取材・文:川原崇(サッカーダイジェスト)
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