【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(中編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年05月18日

「ふたりの兄の試合をよく見てたから、あれだけの戦術眼を」。

ゲームやおもちゃを欲しがる年頃になっても、「新しいサッカーボールが欲しい」としか言わなかったという。写真提供:遠藤武義

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 現在にもつながる冷静ぶりは、すでに8歳の時点で形成されていたのか。藤崎の分析はこうである。
 
「とにかく拓哉のテクニックというのは、凄かったですよ。同時期で比べたら兄弟のなかでも一番だったと確信しています。そんな長男にずっと戦いを挑んでいたのがヤットで、どうすればボールが獲れるのか、上手くなれるのかを考えて育ったんでしょうね。それはアキにも言えることかもしれませんが、兄とは違う部分を磨いていこうと思っていたのかもしれない。ヤットは末っ子。ふたりの兄の試合をじっと観る機会が多かったから、あれだけの戦術眼を持つようになったのかなと思います」
 
 母のヤス子も同調する。
 
「保仁はホントに小さい頃から物怖じしない性格でしたよ。マイペースというんですかね。ほかの子どもたちがゲームやおもちゃを欲しがる年頃になっても、『新しいサッカーボールが欲しい』としか言いませんでしたから。親としてはなにか買ってあげたいと思っても、いらないって言うんです(笑)。拓哉も彰弘も同じ。あの子たちは年齢は離れてましたけど、一緒にいる時間は明けても暮れてもサッカーばかりでした。家の窓ガラスを割られて、直したらすぐにまた割られて。1日に2回もガラス屋さん来てもらったこともあります(笑)。どちらも保仁でしたね」
 
 家のなかでもサッカーのビデオを欠かさず観ていた保仁。とりわけ拓哉の鹿児島実高時代のプレーを何度も繰り返し観ては、巻き戻したり、スローで送ったり、飽きもせずに“分析”を試みていたのだ。
 
 父の武義は、幼ない保仁と社会人チームの試合を一緒に観に行った時のことを、今でもよく思い出すという。ボソっとひとり言のように保仁が「あ、これ入るよ」「あそこにパス出すよ」と漏らすと、たいていはその通りになった。嘘のような、本当の話なのである。
 
 逸話は続く。
 
「ヤットは小学校の6年間、皆勤だったんです。兄弟で唯一ですよ。ただ一日だけ、凄い熱があって休ませようと思ったことがあった。朝からずっと泣いてるんで苦しいのかと思ったら、理由は『今日サッカーができないから』でした。不憫に思ったので先生にお願いして、登校させました。そうしたら夕方の練習ではピンピンしてサッカーをしてました(笑)。ホント、凄い熱だったんですが……」

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