限界を乗り越え、ナイジェリアの地で飛躍のときを迎える。
3月の国内最終キャンプでは、ナイジェリア遠征に向けた予防注射をめぐってトルシエと日本サッカー協会が火花を散らした。さらにブルキナファソから帰国後に稲本がじん帯を負傷。柱を欠いたなかでのリスタートとなった。
しかし、彼らはもうどんなことにも動揺しなかった。やるべきことがなんなのかを、各々が深く理解している。本誌インタビューで、手島和希はこう話していた。
「いまは本当に、みんなでサッカーをやってて楽しいと感じられるようになりました。それはトルシエが監督になったからだけじゃなくて、考え方が変わったからでしょう。プレーに集中して、やりたいようにやれる。アジアユースは悔しかった。借りを返したい。結果はどうあれ、みんなのなかにそういう意識があるんですよ。だから、世界大会と言っても気負ってる部分がないんです」
アジアユース後の数か月で、彼らは絶えず自問自答を続けた。これはある意味で、去っていった清雲監督の功績なのかもしれない。個々の自主性を重んじたいという指針を、無意識ながら選手は読み取っていたのだ。そこにトルシエ監督、山本昌邦コーチがスパイスを利かせ、チームとして仕上げていったのである。
ワールドユースでの快進撃は、フロックではない。カメルーン戦に敗れても、彼らは裏付けされた自信とともに蘇ってきた。ベンチがドタバタしていても我関せずとプレーに専念し、誰が見ても采配ミスだったウルグアイ戦の後半でさえ、とっさの状況判断で乗り越えて見せたのである。
そしてファイナル――もはや体力的にも限界に達していた。多くを望むべきではないだろう。すべてにおいて格が上だったスペインが相手。0-4というスコアにあっても、最後の1分1秒までボールを、ゴールを追い求めた彼らの姿を、むしろ目に焼きつけようではないか。ここからまた学び、逞しくなることを祈りつつ……。
精神面では最弱だったかもしれないかつての少年たちは、最高の輝きを放ちつつ、その使命を終えた。愛すべきチームは、4月28日、成田空港で解散した。
――いまやすっかり有名人だよ。
「ホントですか? いや、ボクはそんなの信じないっすよ」
無邪気にほくそ笑みながら、小笠原はこう答えてくれた。
文:川原崇(サッカーダイジェスト)
しかし、彼らはもうどんなことにも動揺しなかった。やるべきことがなんなのかを、各々が深く理解している。本誌インタビューで、手島和希はこう話していた。
「いまは本当に、みんなでサッカーをやってて楽しいと感じられるようになりました。それはトルシエが監督になったからだけじゃなくて、考え方が変わったからでしょう。プレーに集中して、やりたいようにやれる。アジアユースは悔しかった。借りを返したい。結果はどうあれ、みんなのなかにそういう意識があるんですよ。だから、世界大会と言っても気負ってる部分がないんです」
アジアユース後の数か月で、彼らは絶えず自問自答を続けた。これはある意味で、去っていった清雲監督の功績なのかもしれない。個々の自主性を重んじたいという指針を、無意識ながら選手は読み取っていたのだ。そこにトルシエ監督、山本昌邦コーチがスパイスを利かせ、チームとして仕上げていったのである。
ワールドユースでの快進撃は、フロックではない。カメルーン戦に敗れても、彼らは裏付けされた自信とともに蘇ってきた。ベンチがドタバタしていても我関せずとプレーに専念し、誰が見ても采配ミスだったウルグアイ戦の後半でさえ、とっさの状況判断で乗り越えて見せたのである。
そしてファイナル――もはや体力的にも限界に達していた。多くを望むべきではないだろう。すべてにおいて格が上だったスペインが相手。0-4というスコアにあっても、最後の1分1秒までボールを、ゴールを追い求めた彼らの姿を、むしろ目に焼きつけようではないか。ここからまた学び、逞しくなることを祈りつつ……。
精神面では最弱だったかもしれないかつての少年たちは、最高の輝きを放ちつつ、その使命を終えた。愛すべきチームは、4月28日、成田空港で解散した。
――いまやすっかり有名人だよ。
「ホントですか? いや、ボクはそんなの信じないっすよ」
無邪気にほくそ笑みながら、小笠原はこう答えてくれた。
文:川原崇(サッカーダイジェスト)