いわば「ペップの亡霊」と戦い続けていた。
ジョゼップ・グアルディオラであれば違った――。
ルイス・エンリケは3年間、そんな声と共に生きてきた。そこには常に比較があった。その背中にぴたりとくっつく影みたいに、先人であり、かつてのチームメイトの亡霊がついて回った。
結局のところ、過去への哀愁に満ちたカンプ・ノウのベンチで彼が戦っていたのは、目の前の相手ではなかったのだ。
それは、黄金時代の究極のポゼッションサッカーであり、いわばグアルディオラの影だった。
退任を決意させた積りに積もった疲弊の大部分が、過去の偉大なるサッカーとの比較にあったことは、容易に想像できる。
次にバルサにやってくる、新たな監督はどんなサッカーをするのか。継続か、あるいはかつてのポゼッションサッカーへの回帰か。
パスを繋ぎ続ける魅惑のポゼッションサッカーで常に相手を叩きのめし、タイトルを獲り、(メディアにもチャーミングな)素敵な監督がいれば、それにこしたことはない。
しかし現実的に考えて、そんな監督はおそらく存在しない。
バルセロニスタ(バルサ・ファン)の多くが神のように崇めるグアルディオラですら、3年間指揮したバイエルンではCLは獲れず、在任1年目のマンチェスター・シティでもなかなかに苦しんでいる。
数か月後、ルイス・エンリケがいなくなったカンプ・ノウで、バルセロニスタは初めて理解するのかもしれない。
サッカーはポゼッションがすべてではないのだと。
あの時のルイス・エンリケのサッカーは、正しかったのだと。
文:豊福晋
【著者プロフィール】
1979年、福岡県生まれ。2001年のミラノ留学を経て、フリーで取材・執筆活動を開始。イタリア、スコットランドと拠点を移し、09年夏からはスペインのバルセロナに在住。リーガ・エスパニョーラを中心に、4か国語を操る語学力を活かして欧州フットボールシーンを幅広く、ディープに掘り下げている。独自の視点から紡ぐ、軽妙でいて深みのある筆致に定評がある。
ルイス・エンリケは3年間、そんな声と共に生きてきた。そこには常に比較があった。その背中にぴたりとくっつく影みたいに、先人であり、かつてのチームメイトの亡霊がついて回った。
結局のところ、過去への哀愁に満ちたカンプ・ノウのベンチで彼が戦っていたのは、目の前の相手ではなかったのだ。
それは、黄金時代の究極のポゼッションサッカーであり、いわばグアルディオラの影だった。
退任を決意させた積りに積もった疲弊の大部分が、過去の偉大なるサッカーとの比較にあったことは、容易に想像できる。
次にバルサにやってくる、新たな監督はどんなサッカーをするのか。継続か、あるいはかつてのポゼッションサッカーへの回帰か。
パスを繋ぎ続ける魅惑のポゼッションサッカーで常に相手を叩きのめし、タイトルを獲り、(メディアにもチャーミングな)素敵な監督がいれば、それにこしたことはない。
しかし現実的に考えて、そんな監督はおそらく存在しない。
バルセロニスタ(バルサ・ファン)の多くが神のように崇めるグアルディオラですら、3年間指揮したバイエルンではCLは獲れず、在任1年目のマンチェスター・シティでもなかなかに苦しんでいる。
数か月後、ルイス・エンリケがいなくなったカンプ・ノウで、バルセロニスタは初めて理解するのかもしれない。
サッカーはポゼッションがすべてではないのだと。
あの時のルイス・エンリケのサッカーは、正しかったのだと。
文:豊福晋
【著者プロフィール】
1979年、福岡県生まれ。2001年のミラノ留学を経て、フリーで取材・執筆活動を開始。イタリア、スコットランドと拠点を移し、09年夏からはスペインのバルセロナに在住。リーガ・エスパニョーラを中心に、4か国語を操る語学力を活かして欧州フットボールシーンを幅広く、ディープに掘り下げている。独自の視点から紡ぐ、軽妙でいて深みのある筆致に定評がある。