チームへの帰属意識が薄れてきたように見えたが…。
前述した通り、本田は他のメンバーより先に退席した。残りの選手とスタッフは23時近くまでレストランにいたが、彼はその1時間ほど前に帰っていったという。
「ケイスケは俺たちのチームメイトであるだけでなく、ほかにも沢山のことをしている。たぶん彼の1日はスケジュールでいっぱいなんだろう。でも、今シーズンのケイスケはこれまでよりも、ずっとグループの中に溶け込んでいる気がする。以前よりみんなに関わってくるし、とにかくよく笑うんだ」
ミランが約5年半ぶりのタイトルを獲得した昨年末のイタリア・スーパーカップ、2人退場になりながら奇跡の勝利を収めた2月18日のボローニャ戦(18節順延分)で本田は、チームの歓喜の輪に加わらず、早々にロッカールームに引き上げていった。
いずれのシーンも現場で見ていた私は、「孤立している」、「ミランへの帰属意識を失っているのではないか?」とこのコラムで書いた。しかし、それは大きな間違いだったようだ。この場を借りて謝罪したい。
イタリア人グループの助けもあって、本田とチームメイトの関係は悪くない。それどころか、服装に関して冗談を言い合えるような良好な関係を築けている。
しかし、カルチャトーレ(サッカー選手)としては相変わらず苦しい時期が続いている。開幕からもう6か月が経過したが、ここまでの合計プレータイムはわずか95分間だ。
2月19日のフィオレンティーナ戦(セリエA25節)でも本田は、公式戦18試合連続のベンチスタート、セリエA9試合連続(公式戦では5試合連続)の出番なしに終わった。ウォーミングアップすら命じられず、90分間ずっとベンチを温め続けたのだ。
もはやモンテッラ構想から外れている状態で、2月26日のサッスオーロ戦(セリエA26節)も、普通にいけば再び出番なし、幸運ならば試合終盤に数分間プレーするだけに終わるだろう。
ピッチ外とは裏腹に、ピッチ内の試練は続いている……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
「ケイスケは俺たちのチームメイトであるだけでなく、ほかにも沢山のことをしている。たぶん彼の1日はスケジュールでいっぱいなんだろう。でも、今シーズンのケイスケはこれまでよりも、ずっとグループの中に溶け込んでいる気がする。以前よりみんなに関わってくるし、とにかくよく笑うんだ」
ミランが約5年半ぶりのタイトルを獲得した昨年末のイタリア・スーパーカップ、2人退場になりながら奇跡の勝利を収めた2月18日のボローニャ戦(18節順延分)で本田は、チームの歓喜の輪に加わらず、早々にロッカールームに引き上げていった。
いずれのシーンも現場で見ていた私は、「孤立している」、「ミランへの帰属意識を失っているのではないか?」とこのコラムで書いた。しかし、それは大きな間違いだったようだ。この場を借りて謝罪したい。
イタリア人グループの助けもあって、本田とチームメイトの関係は悪くない。それどころか、服装に関して冗談を言い合えるような良好な関係を築けている。
しかし、カルチャトーレ(サッカー選手)としては相変わらず苦しい時期が続いている。開幕からもう6か月が経過したが、ここまでの合計プレータイムはわずか95分間だ。
2月19日のフィオレンティーナ戦(セリエA25節)でも本田は、公式戦18試合連続のベンチスタート、セリエA9試合連続(公式戦では5試合連続)の出番なしに終わった。ウォーミングアップすら命じられず、90分間ずっとベンチを温め続けたのだ。
もはやモンテッラ構想から外れている状態で、2月26日のサッスオーロ戦(セリエA26節)も、普通にいけば再び出番なし、幸運ならば試合終盤に数分間プレーするだけに終わるだろう。
ピッチ外とは裏腹に、ピッチ内の試練は続いている……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。