ハリルホジッチは本田の反応を見ているはずだが…。
わたしは数日前、日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチが「もし継続してプレーできないのなら、チームを変えたほうがいい」と、本田に向けてメッセージを放ったという話を聞いた。
現在の本田は、ミランで続けてどころか、まるでプレーすることができていない。世界中のどの代表監督であってもきっと、同じことを言うだろう。
言うまでもなく、代表チームの活動時間は極めて少ない。だから代表監督にとって、選手たちが普段からプレーのリズムを身につけていることが非常に重要だ。
本田はこれまで、日本代表のシンボルだった。しかし、彼はそのポストさえも失う可能性があるのだろう。そうならないためにも、ハリルホジッチはまず本田に忠告し、彼がそれに従うかを見ているのかもしれない。
しかし、状況は前回のコラムから何も変わっていない。本田には中国、MLS、プレミアリーグ(サンダーランド、ワトフォード、サウサンプトンなど)のクラブが興味を示しているというが、「本人とクラブが交渉に入った」、「移籍金がいくらで、年俸がいくらのオファー」という具体的な情報は、まったく入ってきていない。私が働く『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙にも、その他のメディアにもだ。
とはいえ、このままミランにいても本田の状況が変わるとは到底思えないし、さらに悪化する可能性すらある。いまミランは、エバートンからジェラール・デウロフェウを獲得すべく動いている。そう、両ウイングの控えとして。本田はいわば八方塞がりだ。
しかし同時に、前回も書いた通り、「いま本田を放出しても大した収入にはならない。それならシーズン終了まで手元に置いても、まあ害にはならないだろう」と考えるミランは、この1月に本田を手放す気がない。つまり、全ては本田自身にかかっているのだ。
アドリアーノ・ガッリアーニ副会長のオフィスのドアを叩き、「俺を放出してくれ」と頼めば、「NO」とは言われないはずだが……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
現在の本田は、ミランで続けてどころか、まるでプレーすることができていない。世界中のどの代表監督であってもきっと、同じことを言うだろう。
言うまでもなく、代表チームの活動時間は極めて少ない。だから代表監督にとって、選手たちが普段からプレーのリズムを身につけていることが非常に重要だ。
本田はこれまで、日本代表のシンボルだった。しかし、彼はそのポストさえも失う可能性があるのだろう。そうならないためにも、ハリルホジッチはまず本田に忠告し、彼がそれに従うかを見ているのかもしれない。
しかし、状況は前回のコラムから何も変わっていない。本田には中国、MLS、プレミアリーグ(サンダーランド、ワトフォード、サウサンプトンなど)のクラブが興味を示しているというが、「本人とクラブが交渉に入った」、「移籍金がいくらで、年俸がいくらのオファー」という具体的な情報は、まったく入ってきていない。私が働く『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙にも、その他のメディアにもだ。
とはいえ、このままミランにいても本田の状況が変わるとは到底思えないし、さらに悪化する可能性すらある。いまミランは、エバートンからジェラール・デウロフェウを獲得すべく動いている。そう、両ウイングの控えとして。本田はいわば八方塞がりだ。
しかし同時に、前回も書いた通り、「いま本田を放出しても大した収入にはならない。それならシーズン終了まで手元に置いても、まあ害にはならないだろう」と考えるミランは、この1月に本田を手放す気がない。つまり、全ては本田自身にかかっているのだ。
アドリアーノ・ガッリアーニ副会長のオフィスのドアを叩き、「俺を放出してくれ」と頼めば、「NO」とは言われないはずだが……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。