「僕はあの年を境に 大人のフットボーラーになっていった」。
大分でレギュラーとなった2007年以降、森重には今野と何度も対戦した経験がある。
だが、森重が今野の凄さを思い知るのは2010年にFC東京に加入し、CBのコンビを組むようになってからだった。
「隣でプレーするようになって、自分にないものを持っている人だと気づいた。アプローチの速さ、プレーの正確さ、スピード感……。基本が大事だと学んでからは、教科書通りの守備を徹底できる今野さんの凄さが改めて分かった」
試合前には、イメージトレーニングを行なうようにもなった。
まずインターセプトを狙う。それが無理なら相手に前を向かせない。バックパスさせたらオーケー。深追いしないで自分のポジションに戻ろう――。
「試合中は考える余裕なんてないから、練習中や試合前にとにかく頭を使う。そうすると、身体に染み込み、頭もそういう回路になって、試合で無意識にできるようになるんです」
効果はてき面だった。2011年の警告は4回、2012年はわずか2回。それは、自身の未熟さと向き合い、弱点克服に取り組んだ努力が報われた証だった。
2012年に今野がガンバ大阪に移籍すると、森重はディフェンスリーダーの座を引き継いだ。 13 年にはキャプテンに就任し、日本代表にも選出された。
2014年ブラジル・ワールドカップでは今野を押しのけてコートジボワールとの初戦で先発出場を飾ったが、2戦目以降は今野にポジションを奪い返された。
森重にとって今野は、依然として目指すべき選手として存在している。
だからこそ、森重にはショックだった。今野が「世界と戦ってCBとして限界を感じた」と発言したことが――。
「え、何を言ってる?って思いましたよ。今野さんがそんなこと言ったら、俺はどうすればいいんだって」
CBは、高さや屈強さを武器にするストッパータイプと、カバーリングやポジショニング、攻撃の起点となるプレーに長けたリベロタイプに大別される。森重は自身を後者と認識しているが、そのトップにいるのが今野だと考えている。
「その今野さんが限界だと思ったっていうことは、自分もCBとしてやっぱり厳しいんだろうなって……」
だが、森重はある仮説を立てた。ザックジャパンが決勝トーナメントに進出していたら、今野も限界を感じなかったのではないか――という仮説である。
「今野さんとは違う思いを抱くためにも、ロシア・ワールドカップではグループステージを突破したい。だから今、僕はあの『今野さんの言葉』に対してチャレンジしているところなんです」
かつて2010年の自分を「年間ワーストプレーヤー」とまで言った森重にとって、そのシーズンを語るのは、気持ちの良いことではないはずだ。それでも振り返ることができるのは、「甘く、若い」自分と決別できているからだろう。
「ありきたりかもしれないですが、僕はあの年を境に大人のフットボーラーになっていったんだと思います」
そう言うと、森重は「うん、絶対にそうだな」と自らの言葉を噛みしめた。
2015年のJ1最終節。勝てばチャンピオンシップの出場権を掴めたFC東京は、サガン鳥栖とスコアレスドローを演じ、得失点差で逃してしまう。
ホーム最終戦の挨拶のため、マイクの前に立ったキャプテンは、言葉を詰まらせ、人差し指で両目を拭った。
あの瞬間、森重に去来したのは、どのような思いだっただろうか。
おそらくそれは、5年前には抱くことのなかった感情だったに違いない。
文:飯尾篤史(スポーツライター)
だが、森重が今野の凄さを思い知るのは2010年にFC東京に加入し、CBのコンビを組むようになってからだった。
「隣でプレーするようになって、自分にないものを持っている人だと気づいた。アプローチの速さ、プレーの正確さ、スピード感……。基本が大事だと学んでからは、教科書通りの守備を徹底できる今野さんの凄さが改めて分かった」
試合前には、イメージトレーニングを行なうようにもなった。
まずインターセプトを狙う。それが無理なら相手に前を向かせない。バックパスさせたらオーケー。深追いしないで自分のポジションに戻ろう――。
「試合中は考える余裕なんてないから、練習中や試合前にとにかく頭を使う。そうすると、身体に染み込み、頭もそういう回路になって、試合で無意識にできるようになるんです」
効果はてき面だった。2011年の警告は4回、2012年はわずか2回。それは、自身の未熟さと向き合い、弱点克服に取り組んだ努力が報われた証だった。
2012年に今野がガンバ大阪に移籍すると、森重はディフェンスリーダーの座を引き継いだ。 13 年にはキャプテンに就任し、日本代表にも選出された。
2014年ブラジル・ワールドカップでは今野を押しのけてコートジボワールとの初戦で先発出場を飾ったが、2戦目以降は今野にポジションを奪い返された。
森重にとって今野は、依然として目指すべき選手として存在している。
だからこそ、森重にはショックだった。今野が「世界と戦ってCBとして限界を感じた」と発言したことが――。
「え、何を言ってる?って思いましたよ。今野さんがそんなこと言ったら、俺はどうすればいいんだって」
CBは、高さや屈強さを武器にするストッパータイプと、カバーリングやポジショニング、攻撃の起点となるプレーに長けたリベロタイプに大別される。森重は自身を後者と認識しているが、そのトップにいるのが今野だと考えている。
「その今野さんが限界だと思ったっていうことは、自分もCBとしてやっぱり厳しいんだろうなって……」
だが、森重はある仮説を立てた。ザックジャパンが決勝トーナメントに進出していたら、今野も限界を感じなかったのではないか――という仮説である。
「今野さんとは違う思いを抱くためにも、ロシア・ワールドカップではグループステージを突破したい。だから今、僕はあの『今野さんの言葉』に対してチャレンジしているところなんです」
かつて2010年の自分を「年間ワーストプレーヤー」とまで言った森重にとって、そのシーズンを語るのは、気持ちの良いことではないはずだ。それでも振り返ることができるのは、「甘く、若い」自分と決別できているからだろう。
「ありきたりかもしれないですが、僕はあの年を境に大人のフットボーラーになっていったんだと思います」
そう言うと、森重は「うん、絶対にそうだな」と自らの言葉を噛みしめた。
2015年のJ1最終節。勝てばチャンピオンシップの出場権を掴めたFC東京は、サガン鳥栖とスコアレスドローを演じ、得失点差で逃してしまう。
ホーム最終戦の挨拶のため、マイクの前に立ったキャプテンは、言葉を詰まらせ、人差し指で両目を拭った。
あの瞬間、森重に去来したのは、どのような思いだっただろうか。
おそらくそれは、5年前には抱くことのなかった感情だったに違いない。
文:飯尾篤史(スポーツライター)