今夏は「魅力的なオファー」がなかったに違いない。
メルカートが閉じた後、私は多くの人間に「どうして本田は夏の間に、自分は出て行くとミランに意思表示しなかったのか?」と尋ねられた。
たしかにその方が、両者にとって都合が良かったかもしれない。ミランは多少なりとも移籍金を手に入れることができたし、本田もより多くのプレータムを得ることができたはずだ。
では、なぜそうしなかったのか? その理由は?
ミランの首脳陣が本田とその代理人と会談し、「モンテッラは本田に対してなんの偏見も持ってはいない」と説明して、彼らを安心させたことがひとつ。もうひとつの理由は、本田がプロとしての義務や契約といったものを決して疎かにしない人間だからだろう。1年前にも「自分は決して逃げない男だ」と公言してもいる。
またクラブにとって、とくに新オーナーになる見込みの中国人たちにとって、本田はアジア市場におけるミラン・ブランド拡大の大事な駒だということも忘れてはならない。
もちろん、ピッチでの価値も過小評価してはいけない。前記した通り、本田はスピードと創造性にこそ欠けるが、献身的でいつでも準備ができているプロフェッショナルだ。例え長いことベンチに置いたとしても、声をかければ全力を尽くす。出番が少ないことでモチベーションを下げる選手も少なくないイタリアでは、これは貴重な美徳だ。
こういったいくつかの要因から、ミランが本腰を入れて本田を売ろうとはしなかったのだろう。
一方、本田側の事情としては、結局は移籍したいと彼に思わせる程の魅力的なオファーがなかったのだと思う。“魅力的なオファー”とは、金銭的な部分のみを意味するのではない。選手が納得できるだけのプロジェクトを、そのチームが持っているかどうかも重要だ。
さて、このままでいけば本田は、年が明ければ自由に他クラブと交渉できるようになる(契約満了まで半年を切った選手は、現所属クラブに許可なく他クラブと交渉ができる)。
言い換えれば、それまではミランで高給を得ながら(本田の年俸は、クラブ内で3位タイの250万ユーロ=約3億円)、練習しながら、時にはプレーもしながら、じっくりと先のことを考え、自分にとって最良の道を吟味することができる。
そう考えると、慌てて他のチームに移籍しなかった今夏の選択は、ある意味でロジカルだったのかもしれない。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
たしかにその方が、両者にとって都合が良かったかもしれない。ミランは多少なりとも移籍金を手に入れることができたし、本田もより多くのプレータムを得ることができたはずだ。
では、なぜそうしなかったのか? その理由は?
ミランの首脳陣が本田とその代理人と会談し、「モンテッラは本田に対してなんの偏見も持ってはいない」と説明して、彼らを安心させたことがひとつ。もうひとつの理由は、本田がプロとしての義務や契約といったものを決して疎かにしない人間だからだろう。1年前にも「自分は決して逃げない男だ」と公言してもいる。
またクラブにとって、とくに新オーナーになる見込みの中国人たちにとって、本田はアジア市場におけるミラン・ブランド拡大の大事な駒だということも忘れてはならない。
もちろん、ピッチでの価値も過小評価してはいけない。前記した通り、本田はスピードと創造性にこそ欠けるが、献身的でいつでも準備ができているプロフェッショナルだ。例え長いことベンチに置いたとしても、声をかければ全力を尽くす。出番が少ないことでモチベーションを下げる選手も少なくないイタリアでは、これは貴重な美徳だ。
こういったいくつかの要因から、ミランが本腰を入れて本田を売ろうとはしなかったのだろう。
一方、本田側の事情としては、結局は移籍したいと彼に思わせる程の魅力的なオファーがなかったのだと思う。“魅力的なオファー”とは、金銭的な部分のみを意味するのではない。選手が納得できるだけのプロジェクトを、そのチームが持っているかどうかも重要だ。
さて、このままでいけば本田は、年が明ければ自由に他クラブと交渉できるようになる(契約満了まで半年を切った選手は、現所属クラブに許可なく他クラブと交渉ができる)。
言い換えれば、それまではミランで高給を得ながら(本田の年俸は、クラブ内で3位タイの250万ユーロ=約3億円)、練習しながら、時にはプレーもしながら、じっくりと先のことを考え、自分にとって最良の道を吟味することができる。
そう考えると、慌てて他のチームに移籍しなかった今夏の選択は、ある意味でロジカルだったのかもしれない。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。