貢献度をさらに高めた長谷部、清武は出場した試合では活躍。
長谷部 誠
フランクフルト(ドイツ)
32試合・1得点・2アシスト
○よくできました
ブンデスリーガでプレーする日本人では最多の32試合に先発した。欠場は日本代表遠征直後に休養を与えられた9節のボルシアMG戦と、累積警告による出場停止だった20節のシュツットガルト戦だけである。
25節終了後に解任されたアルミン・フェー前監督だけでなく、後を継いだニコ・コバチ新監督からの信頼もしっかりと勝ち取り、いかなる時もチームに不可欠な戦力として献身的なパフォーマンスを見せ続けた。
同じくフル稼働した昨シーズンと異なっていたのは主戦場だ。フェー体制下では右SBでの起用が多く、本職のボランチでの出場は限られた。22節のハンブルク戦では、左SBを任されもした。
それでも、与えられた持ち場でチームプレーに徹し、コバチ監督就任後にボランチのレギュラーに返り咲く。
圧巻だったのは、残留争いが熾烈化した終盤戦の働きで、32節のダルムシュタット戦では約3年ぶりとなるゴールを記録。要所でいぶし銀の輝きを放ち、チームの自動降格を回避させる原動力となった。(遠藤孝輔)
フランクフルト(ドイツ)
32試合・1得点・2アシスト
○よくできました
ブンデスリーガでプレーする日本人では最多の32試合に先発した。欠場は日本代表遠征直後に休養を与えられた9節のボルシアMG戦と、累積警告による出場停止だった20節のシュツットガルト戦だけである。
25節終了後に解任されたアルミン・フェー前監督だけでなく、後を継いだニコ・コバチ新監督からの信頼もしっかりと勝ち取り、いかなる時もチームに不可欠な戦力として献身的なパフォーマンスを見せ続けた。
同じくフル稼働した昨シーズンと異なっていたのは主戦場だ。フェー体制下では右SBでの起用が多く、本職のボランチでの出場は限られた。22節のハンブルク戦では、左SBを任されもした。
それでも、与えられた持ち場でチームプレーに徹し、コバチ監督就任後にボランチのレギュラーに返り咲く。
圧巻だったのは、残留争いが熾烈化した終盤戦の働きで、32節のダルムシュタット戦では約3年ぶりとなるゴールを記録。要所でいぶし銀の輝きを放ち、チームの自動降格を回避させる原動力となった。(遠藤孝輔)
清武 弘嗣
ハノーファー(ドイツ)
21試合・5得点・7アシスト
○よくできました
最下位での2部降格が決まったハノーファーで、評価を上げた数少ないひとりだ。
右足の中足骨骨折の怪我が癒え、4節のドルトムント戦で初出場を果たすと、瞬く間に攻撃を牽引するキーマンとなる。
卓越したボールコントロールや精緻なスルーパス、得意のFKを武器に、数多くのチャンスを演出。アタッキングサードでの崩しの質に大きな問題を抱えていたチームの救世主として、称賛を集めた。
不運だったのは中足骨折による再離脱だ。13~21節まで欠場を余儀なくされた。
しかし復帰後は、その長期離脱の影響をまるで感じさせず、2戦目で2アシストを記録。改めて真価を証明すると、相手の徹底マークに苦しめられた時期もあったが、最後まで攻撃の大黒柱として奮闘した。
その重要性を端的に示しているデータを紹介しよう。ハノーファーは今シーズン、計7勝をマークした。しかし、清武の不在時は1勝1分け11敗と目も当てられないような散々な結果に終わっている。(遠藤孝輔)
ハノーファー(ドイツ)
21試合・5得点・7アシスト
○よくできました
最下位での2部降格が決まったハノーファーで、評価を上げた数少ないひとりだ。
右足の中足骨骨折の怪我が癒え、4節のドルトムント戦で初出場を果たすと、瞬く間に攻撃を牽引するキーマンとなる。
卓越したボールコントロールや精緻なスルーパス、得意のFKを武器に、数多くのチャンスを演出。アタッキングサードでの崩しの質に大きな問題を抱えていたチームの救世主として、称賛を集めた。
不運だったのは中足骨折による再離脱だ。13~21節まで欠場を余儀なくされた。
しかし復帰後は、その長期離脱の影響をまるで感じさせず、2戦目で2アシストを記録。改めて真価を証明すると、相手の徹底マークに苦しめられた時期もあったが、最後まで攻撃の大黒柱として奮闘した。
その重要性を端的に示しているデータを紹介しよう。ハノーファーは今シーズン、計7勝をマークした。しかし、清武の不在時は1勝1分け11敗と目も当てられないような散々な結果に終わっている。(遠藤孝輔)