「すみません、洋輝さん(笑)」
太田は2010年1月に当時の岡田武史監督から初招集を受け、日本代表デビュー。その後、しばらく声が掛からなかったが、14年から16年にかけてハビエル・アギーレ体制とヴァイッド・ハリルホジッチ体制でも日の丸を背負った。
結局、7キャップで代表定着は果たせず、ワールドカップへの出場も叶わなかったものの、「後悔は全然ない」と断言する。
――◆――◆――
そもそも自分は、僕が入る前はJ2でビリから2番目だった横浜FCの同期4人の中でも、1番評価や年俸も低かったし、本当に底辺中の底辺からスタートしたキャリアだったので。代表に行けたことがミラクルすぎるし、そこで佑都君と比較されたりすることさえも…僕はそれだけでも幸せでした。
ワールドカップには行けなかったですが、ただ、それが僕の実力だったのかなと思うし、毎日毎日ベストを尽くしてきたので、そこに対しての悔しさや未練は全くないです。
結局、7キャップで代表定着は果たせず、ワールドカップへの出場も叶わなかったものの、「後悔は全然ない」と断言する。
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そもそも自分は、僕が入る前はJ2でビリから2番目だった横浜FCの同期4人の中でも、1番評価や年俸も低かったし、本当に底辺中の底辺からスタートしたキャリアだったので。代表に行けたことがミラクルすぎるし、そこで佑都君と比較されたりすることさえも…僕はそれだけでも幸せでした。
ワールドカップには行けなかったですが、ただ、それが僕の実力だったのかなと思うし、毎日毎日ベストを尽くしてきたので、そこに対しての悔しさや未練は全くないです。
今の森保ジャパンに関して言えば、やっぱり前の選手が強烈で、ほとんどトップリーグでプレーして自信も持っていますし、海外選手との試合経験というか、慣れですよね。普段のリーグからそういうところで戦っている分、本当に対等に戦う姿を見て、すごいなって思っています。あとは追加招集で呼ばれた選手とか、すぐ使ってくれていいなって。その1キャップって超大事ですからね。
今は森保さんが招集した選手を、たくさん使ってくれますけど、ハリルさんやアギーレさんはメンバーをほぼ固定して、招集した選手を全員使うような監督ではなかったので。親善試合ですら出られなかったですからね。
気になる選手は、やっぱり一緒にやった選手。(久保)建英や、伊藤洋輝も名古屋で一緒ですし。洋輝は磐田からローンで来ていましたが、全然試合に出られなくて。ただ持っているものはすごかったし、身体もできていた。
洋輝は当時からずっと「ヨーロッパ行きたい。ヨーロッパ行きたい」って言っていて。あいつ、洋輝のひろって「洋」、ヨーロッパじゃないですか。「ヨーロッパで輝く」と書いて洋輝なんですよ。「ヨーロッパで輝かなきゃいけないのに、なんで名古屋でくすぶっているんだ」みたいな会話をふざけてよく話していました。どんどん、どんどんキャリアを伸ばしていったから、「すみません、洋輝さん」って感じですけど(笑)。
※このシリーズ了
取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)
「いつも家の前に怖い人が来る」太田宏介が壮絶な過去を告白。中学時代に決意「1日でも早くここを出よう」
今は森保さんが招集した選手を、たくさん使ってくれますけど、ハリルさんやアギーレさんはメンバーをほぼ固定して、招集した選手を全員使うような監督ではなかったので。親善試合ですら出られなかったですからね。
気になる選手は、やっぱり一緒にやった選手。(久保)建英や、伊藤洋輝も名古屋で一緒ですし。洋輝は磐田からローンで来ていましたが、全然試合に出られなくて。ただ持っているものはすごかったし、身体もできていた。
洋輝は当時からずっと「ヨーロッパ行きたい。ヨーロッパ行きたい」って言っていて。あいつ、洋輝のひろって「洋」、ヨーロッパじゃないですか。「ヨーロッパで輝く」と書いて洋輝なんですよ。「ヨーロッパで輝かなきゃいけないのに、なんで名古屋でくすぶっているんだ」みたいな会話をふざけてよく話していました。どんどん、どんどんキャリアを伸ばしていったから、「すみません、洋輝さん」って感じですけど(笑)。
※このシリーズ了
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