A代表では遠藤&守田から刺激
その一方で、トップチームに昇格できる手応えはあまりなかったという。
「楓喜は高校1年生の頃からトップチームの練習に参加していたんですけど、自分は全然参加していなかった。練習試合にも呼んでもらえていなかったので、昇格はないかもしれないと思って、大学進学の道を模索していましたから」
だが、クラブ関係者の目にはしっかり印象が残っていた。
「3年生に入ると、週に2、3人ぐらいがトップチームの練習に呼ばれるんです。その時に僕も2週間に1回ぐらい参加していて、自分の武器であるガツガツした守備や誰よりも走る姿を見せられた。そこが評価されたのかもしれません」
トップチーム昇格後は苦しみながらも2年目以降にレギュラーとなり、前編で記述した通り、一歩ずつプレーの幅を広げてチームに欠かせない存在に昇華した。
そして、4年目を迎えた今季は曺監督からキャプテン就任を打診されるまでになった。2年目からお世話になった曺監督からの要請を断る理由はない。新たな立場で名実ともにチームを牽引する存在になったのだが、開幕後は悩みながらプレーをしていた。
「自分としては、キャプテンになっても伸び伸びプレーができるだろうと思っていたんです。性格的にも大丈夫だろうなと。ユースの時も良い意味で考えずにやっていたので。
でも、やっぱり自然と考えるようになって、特に序盤戦は苦労をしました。がんじがらめになってしまい、曺さんからも指摘されたし、自分でも分かっていたので結構辛かったですね」
「楓喜は高校1年生の頃からトップチームの練習に参加していたんですけど、自分は全然参加していなかった。練習試合にも呼んでもらえていなかったので、昇格はないかもしれないと思って、大学進学の道を模索していましたから」
だが、クラブ関係者の目にはしっかり印象が残っていた。
「3年生に入ると、週に2、3人ぐらいがトップチームの練習に呼ばれるんです。その時に僕も2週間に1回ぐらい参加していて、自分の武器であるガツガツした守備や誰よりも走る姿を見せられた。そこが評価されたのかもしれません」
トップチーム昇格後は苦しみながらも2年目以降にレギュラーとなり、前編で記述した通り、一歩ずつプレーの幅を広げてチームに欠かせない存在に昇華した。
そして、4年目を迎えた今季は曺監督からキャプテン就任を打診されるまでになった。2年目からお世話になった曺監督からの要請を断る理由はない。新たな立場で名実ともにチームを牽引する存在になったのだが、開幕後は悩みながらプレーをしていた。
「自分としては、キャプテンになっても伸び伸びプレーができるだろうと思っていたんです。性格的にも大丈夫だろうなと。ユースの時も良い意味で考えずにやっていたので。
でも、やっぱり自然と考えるようになって、特に序盤戦は苦労をしました。がんじがらめになってしまい、曺さんからも指摘されたし、自分でも分かっていたので結構辛かったですね」
具体的に何に悩んでいたのかーー。川﨑は言う。
「自分のプレーが良い悪いとかではなく、チームが勝てれば良いと思い過ぎていたんです。チームが良ければいいと考えていたので、自分のパフォーマンスを反省するのではなく、常にチームのことを考えていたんです。なので、自分のプレーがちょっと疎かになり、こだわりが持てなくなった時期がありましたね」
ガツガツいく守備は変わらずにできていたが、チームの歯車が回るように動こうとし過ぎていた。だが、3月下旬のU-22代表活動が自分を変えるきっかけになった。
「U-22代表の欧州遠征に行って、少し肩の荷が降りたんです。サンガでキャプテンをやっていたなかで、代表ではチームの一員という感じで、生き残りをかけた戦いで自分のプレーに集中するしかない。周りの選手の特徴もわかってきたので、やりやすさもあったので、本当に代表でチームの一員になれた実感があった」
そこから京都ではチームのことを考えつつ、自分のためにプレーできるようになった。そうした積み重ねが6月のA代表入りに繋がった。そこでも刺激を受け、MF遠藤航(リバプール)やMF守田英正(スポルティング)との邂逅(かいこう)は新たな刺激になったという。
「遠藤さんはデュエルが素晴らしいと言われていますが、ゴール前まで入っていける。守田さんもポジショニングや川崎仕込みの巧さがフォーカスされがちだけど、攻撃の芽を潰すのが本当にうまい。
ひとつの特徴だけではA代表に入れないと感じたし、全てのプレーにおいてトップレベルで突き抜けないといけないと感じた。改めて、すごい世界だなと思い知らされましたね」
U-18までは世代別代表の常連ではなかったが、気が付けば世代を牽引するフロントランナーとして最前線を走っている。A代表を経て、9月は再びU-22日本代表の一員となり、U-23アジアカップ予選に臨んでチームの本大会に出場に貢献した。
「プレッシャーを乗り越えていかないとパリには行けない。みんながギラギラしないといけないし、一次予選のメンバーに入ったからといってパリに行けるわけではない」
京都でキャプテンを務めていることやA代表に選出された経験は関係ない。川﨑は謙虚にただひたむきにボールを蹴り続ける。その先にパリ五輪の灯りがあると信じて、今日もグラウンドに立つ。
※このシリーズ了
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
「これ、なんだ?」ビビッて、逃げるようなプレー。曺監督の喝に気づかされ、決意新たに精進【パリの灯は見えたか|vol.4 川﨑颯太】
A代表初招集の川﨑颯太は別メニュー。囲み会見では初対面の久保建英についてコメント「僕と同級生なのを分かっているかなと思っていたが」
「自分のプレーが良い悪いとかではなく、チームが勝てれば良いと思い過ぎていたんです。チームが良ければいいと考えていたので、自分のパフォーマンスを反省するのではなく、常にチームのことを考えていたんです。なので、自分のプレーがちょっと疎かになり、こだわりが持てなくなった時期がありましたね」
ガツガツいく守備は変わらずにできていたが、チームの歯車が回るように動こうとし過ぎていた。だが、3月下旬のU-22代表活動が自分を変えるきっかけになった。
「U-22代表の欧州遠征に行って、少し肩の荷が降りたんです。サンガでキャプテンをやっていたなかで、代表ではチームの一員という感じで、生き残りをかけた戦いで自分のプレーに集中するしかない。周りの選手の特徴もわかってきたので、やりやすさもあったので、本当に代表でチームの一員になれた実感があった」
そこから京都ではチームのことを考えつつ、自分のためにプレーできるようになった。そうした積み重ねが6月のA代表入りに繋がった。そこでも刺激を受け、MF遠藤航(リバプール)やMF守田英正(スポルティング)との邂逅(かいこう)は新たな刺激になったという。
「遠藤さんはデュエルが素晴らしいと言われていますが、ゴール前まで入っていける。守田さんもポジショニングや川崎仕込みの巧さがフォーカスされがちだけど、攻撃の芽を潰すのが本当にうまい。
ひとつの特徴だけではA代表に入れないと感じたし、全てのプレーにおいてトップレベルで突き抜けないといけないと感じた。改めて、すごい世界だなと思い知らされましたね」
U-18までは世代別代表の常連ではなかったが、気が付けば世代を牽引するフロントランナーとして最前線を走っている。A代表を経て、9月は再びU-22日本代表の一員となり、U-23アジアカップ予選に臨んでチームの本大会に出場に貢献した。
「プレッシャーを乗り越えていかないとパリには行けない。みんながギラギラしないといけないし、一次予選のメンバーに入ったからといってパリに行けるわけではない」
京都でキャプテンを務めていることやA代表に選出された経験は関係ない。川﨑は謙虚にただひたむきにボールを蹴り続ける。その先にパリ五輪の灯りがあると信じて、今日もグラウンドに立つ。
※このシリーズ了
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
「これ、なんだ?」ビビッて、逃げるようなプレー。曺監督の喝に気づかされ、決意新たに精進【パリの灯は見えたか|vol.4 川﨑颯太】
A代表初招集の川﨑颯太は別メニュー。囲み会見では初対面の久保建英についてコメント「僕と同級生なのを分かっているかなと思っていたが」