「上司のことが嫌いだと思うのは何もサッカー選手に限ったことじゃない」
ノルショーピンで飛躍を遂げたモーベルグは、再び国外挑戦を決意。18年シーズンが終了した後、チェコの強豪スパルタ・プラハと契約を結ぶ。ちなみに、アーセナルのファンであるモーベルグは、かつてガナーズで活躍し、現在は同クラブでスポーツダイレクターを務めるトマシュ・ロシツキが契約締結に関わったことを知って大喜びしている。
代理人ペール・ヨンソンが「1対1に関してはリーグ屈指」と評価するなど、持ち味であるドリブルはチェコでも十分に通用した。19−20シーズンには国内カップ戦を制覇。翌シーズンにはヨーロッパリーグで母国の英雄ズラタン・イブラヒモビッチを擁するミランとも対戦した。
一方で苦い経験もしている。戦術変更によりBチームでのプレーを余儀なくされたことがあった。ある指揮官の下では理不尽な理由で怒鳴りつけられることもあったという。またスパルタ・プラハでの最後の半年間は、クラブとの契約延長を拒否したこともあって出場機会が減った。
そうした状況のもとでは、かつてのモーベルグであれば大きな問題が起きてもおかしくなかった。実際、置かれた状況についてスウェーデンメディアのインタビューで不満を口にしたことが原因で、クラブから注意を受けてしまう。
代理人ペール・ヨンソンが「1対1に関してはリーグ屈指」と評価するなど、持ち味であるドリブルはチェコでも十分に通用した。19−20シーズンには国内カップ戦を制覇。翌シーズンにはヨーロッパリーグで母国の英雄ズラタン・イブラヒモビッチを擁するミランとも対戦した。
一方で苦い経験もしている。戦術変更によりBチームでのプレーを余儀なくされたことがあった。ある指揮官の下では理不尽な理由で怒鳴りつけられることもあったという。またスパルタ・プラハでの最後の半年間は、クラブとの契約延長を拒否したこともあって出場機会が減った。
そうした状況のもとでは、かつてのモーベルグであれば大きな問題が起きてもおかしくなかった。実際、置かれた状況についてスウェーデンメディアのインタビューで不満を口にしたことが原因で、クラブから注意を受けてしまう。
だが、サンダーランド時代のような最悪の事態にはならなかった。日々黙々と練習に取り組み、指揮官に逆らうことはしなかった。過去の失敗が活きたこともあるのだろう。だが何より、サッカーはあくまでも人生の一部に過ぎないと悟ったことが大きかった。
「(スパルタ・プラハでの辛い日々について)最初は個人攻撃だと捉えた。その時期は辛かったから、生活にも悪い影響が出たよ。嫌なことばかりだった。自分の子供と遊ぶことさえ難しい時期がしばらく続いたんだ。だけどすぐにこの状況を変えた。
サッカーが子供を上回ることはない。自分にとって何より大事なのは子供なんだ。そして、サッカーは自分のアイデンティティのすべてではないと気づいた。自分の一部ではあるけど、自分そのものではない。そうわかったおかげで、とても救われた。妻と子供たちは、ありのままの自分を愛してくれている。友人も、アルスベンスカン(スウェーデン1部リーグ)でゴールを決めるからじゃなく、人間としての自分を知ったうえで付き合ってくれているんだ。だけど、今より若い頃はサッカーがすべてだと思っていた。まさに、サッカー選手としてのダヴィドという世界で生きていたんだ」
今では他人の意見にも積極的に耳を傾けるようになったというモーベルグ。日本に来る前のサッカー人生について、こう振り返っている。
「ポジティブなことしかない。とても辛い時期もあったけどね。だけどそういうことは人間誰しもあること。上司のことが嫌いだと思うのは何もサッカー選手に限ったことじゃない。自分にとって、(悪いことも含めて)全部必要なことだったんだ。人間として成長できたし、そのおかげでサッカー選手としても進化することができたんだ」
「(キャリア初期の振る舞いについて)ある種のエゴイズムが原因だった。物事は自分を中心に回っていると思い込んでいたんだ。プレーできない時はこう考えた。『ベンチを温めるなんて、恥ずかしいことこの上ない』といった風にね。だけど、ダヴィド・モーベルグ・カールソンが出場しようがしまいが誰も気にしちゃいないんだよ。今だったら、若い選手がかつての自分みたいな態度を取ったら怒る。当時の自分が理解していなかったことをわかってもらうようにするよ」
新外国人に対する入国制限により浦和への合流が遅れていたモーベルグは、入国が可能になるまで古巣ヨーテボリで練習を積んでいたのだが、奇しくもクラブの監督はスターレだった(21年より再びヨーテボリを指揮)。スターレは、約10年ぶりに再会した教え子のことを最初は誰だかわからなかったという。昔と違って今は髭を生やしていることもあって、外見が変わったこともあるのだろう。だが一方でそれは、モーベルグが苦難を乗り越えて人間的に成熟したことの証なのかもしれない。
文●鈴木肇
【関連動画】「見れば見るほど好きになっていく」浦和の10番モーベルグのプレー集に脚光!「切れ味鋭いなぁ」
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「(スパルタ・プラハでの辛い日々について)最初は個人攻撃だと捉えた。その時期は辛かったから、生活にも悪い影響が出たよ。嫌なことばかりだった。自分の子供と遊ぶことさえ難しい時期がしばらく続いたんだ。だけどすぐにこの状況を変えた。
サッカーが子供を上回ることはない。自分にとって何より大事なのは子供なんだ。そして、サッカーは自分のアイデンティティのすべてではないと気づいた。自分の一部ではあるけど、自分そのものではない。そうわかったおかげで、とても救われた。妻と子供たちは、ありのままの自分を愛してくれている。友人も、アルスベンスカン(スウェーデン1部リーグ)でゴールを決めるからじゃなく、人間としての自分を知ったうえで付き合ってくれているんだ。だけど、今より若い頃はサッカーがすべてだと思っていた。まさに、サッカー選手としてのダヴィドという世界で生きていたんだ」
今では他人の意見にも積極的に耳を傾けるようになったというモーベルグ。日本に来る前のサッカー人生について、こう振り返っている。
「ポジティブなことしかない。とても辛い時期もあったけどね。だけどそういうことは人間誰しもあること。上司のことが嫌いだと思うのは何もサッカー選手に限ったことじゃない。自分にとって、(悪いことも含めて)全部必要なことだったんだ。人間として成長できたし、そのおかげでサッカー選手としても進化することができたんだ」
「(キャリア初期の振る舞いについて)ある種のエゴイズムが原因だった。物事は自分を中心に回っていると思い込んでいたんだ。プレーできない時はこう考えた。『ベンチを温めるなんて、恥ずかしいことこの上ない』といった風にね。だけど、ダヴィド・モーベルグ・カールソンが出場しようがしまいが誰も気にしちゃいないんだよ。今だったら、若い選手がかつての自分みたいな態度を取ったら怒る。当時の自分が理解していなかったことをわかってもらうようにするよ」
新外国人に対する入国制限により浦和への合流が遅れていたモーベルグは、入国が可能になるまで古巣ヨーテボリで練習を積んでいたのだが、奇しくもクラブの監督はスターレだった(21年より再びヨーテボリを指揮)。スターレは、約10年ぶりに再会した教え子のことを最初は誰だかわからなかったという。昔と違って今は髭を生やしていることもあって、外見が変わったこともあるのだろう。だが一方でそれは、モーベルグが苦難を乗り越えて人間的に成熟したことの証なのかもしれない。
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