「イングランドでの苦労は尋常じゃなかった」
13年夏、将来性を見込まれたモーベルグはサンダーランドへの移籍を果たす。意気揚々とサッカーの母国に乗り込んだが、そこでは大きな試練が待ち構えていた。
加入後まもなくパオロ・ディ・カーニオ監督が解任され、その後暫定的にチームの指揮を取ることになった人物は、プレシーズンマッチでトッテナム相手にゴールを決めたこともあって王様気分だったスウェーデン人アタッカーに対してトップチームではなくU-21チーム行きを言い渡す。
納得できないモーベルグは「絶対に嫌だ。いったいあなたは誰なんだ?」と言い返した。その相手は、サンダーランドでは英雄視されているケビン・ボールだった。
後悔先に立たず、である。それからはモーベルグにとって辛い日々が続いた。ボールからは将来性を否定され、練習ではトラップミスをするとチームメイトの前で嘲笑されたこともあったという。
加入後まもなくパオロ・ディ・カーニオ監督が解任され、その後暫定的にチームの指揮を取ることになった人物は、プレシーズンマッチでトッテナム相手にゴールを決めたこともあって王様気分だったスウェーデン人アタッカーに対してトップチームではなくU-21チーム行きを言い渡す。
納得できないモーベルグは「絶対に嫌だ。いったいあなたは誰なんだ?」と言い返した。その相手は、サンダーランドでは英雄視されているケビン・ボールだった。
後悔先に立たず、である。それからはモーベルグにとって辛い日々が続いた。ボールからは将来性を否定され、練習ではトラップミスをするとチームメイトの前で嘲笑されたこともあったという。
当時サンダーランドに所属していた同胞のセバスティアン・ラーションからアドバイスを受けても従わなかった。当時スウェーデン代表で地位を確立させていた大先輩は、口ごたえをするのではなくプレーで証明すべきだと諭したが、モーベルグは耳を貸さなかった。
「セバスティアン・ラーションは、監督から酷い扱いを受けた場合にどうすればよいか話してくれた。『こうすれば大丈夫だ』といった風にね。振り返ってみると、ラーションの言う通りにしていれば乗り越えることができたと思う。だけど当時は、彼のアドバイスを受け入れることができなかった。自分のやり方でやろうとしたんだ。その結果、失敗した」
結局、プレミアリーグのピッチに立つことなく失意のうちにサンダーランドを去ったモーベルグは、その後キルマーノック(スコットランド。レンタル移籍)とノアシェラン(デンマーク)で再起を図ろうとする。だが、イングランドで受けたダメージは大きかった。
「イングランドでの苦労は尋常じゃなかった。打ちのめされた気分だった。サッカーに対する喜びを取り戻すのに3年はかかったよ」
「以前から自分のことを知っている人は、自分がどれだけ練習してきたか、どれだけサッカーを愛していたかを知っている。そうしたパッションがイングランドで無になってしまったんだ」
とはいえ、悪いことばかりではなかった。ノアシェラン時代になって、自身の生意気な振る舞いはマイナスでしかないことに気づき始めたのだ。そして16年夏、IFKノルショーピンに加入して風向きが変わる。3年ぶりの母国リーグ復帰だった。モーベルグ自身の内面に変化に加えて、居心地の良い環境がプラスに働いた。
「ノルショーピンは、心に傷を負った選手に対してそれぞれのペースでやらせてくれた。クラブは本当に良くしてくれて、とても感謝している」
また、家族の存在も大きかった。
「子供が生まれてからすべてが変わった。世界は自分中心に回っていないということを強く感じたんだ。信じられないかもしれないけど、それまでは自分中心に物事を考えていたんだと思う。だけど子供を授かって、日々の生活は一変した。前はテレビゲームで遊ぶだけだったんだ」
人生の節目となるライフイベントのおかげもあってか、モーベルグはノルショーピンで躍動する。18年シーズンはチーム最多の10ゴールを記録。試合の中継では実況に「1対1が大好きな選手」と形容されるなど、ドリブラーとしての地位を確立させた。17年には国内リーグの選手を中心に構成される代表チームでもプレーし、スロバキア戦で代表初得点をマークしている。
「セバスティアン・ラーションは、監督から酷い扱いを受けた場合にどうすればよいか話してくれた。『こうすれば大丈夫だ』といった風にね。振り返ってみると、ラーションの言う通りにしていれば乗り越えることができたと思う。だけど当時は、彼のアドバイスを受け入れることができなかった。自分のやり方でやろうとしたんだ。その結果、失敗した」
結局、プレミアリーグのピッチに立つことなく失意のうちにサンダーランドを去ったモーベルグは、その後キルマーノック(スコットランド。レンタル移籍)とノアシェラン(デンマーク)で再起を図ろうとする。だが、イングランドで受けたダメージは大きかった。
「イングランドでの苦労は尋常じゃなかった。打ちのめされた気分だった。サッカーに対する喜びを取り戻すのに3年はかかったよ」
「以前から自分のことを知っている人は、自分がどれだけ練習してきたか、どれだけサッカーを愛していたかを知っている。そうしたパッションがイングランドで無になってしまったんだ」
とはいえ、悪いことばかりではなかった。ノアシェラン時代になって、自身の生意気な振る舞いはマイナスでしかないことに気づき始めたのだ。そして16年夏、IFKノルショーピンに加入して風向きが変わる。3年ぶりの母国リーグ復帰だった。モーベルグ自身の内面に変化に加えて、居心地の良い環境がプラスに働いた。
「ノルショーピンは、心に傷を負った選手に対してそれぞれのペースでやらせてくれた。クラブは本当に良くしてくれて、とても感謝している」
また、家族の存在も大きかった。
「子供が生まれてからすべてが変わった。世界は自分中心に回っていないということを強く感じたんだ。信じられないかもしれないけど、それまでは自分中心に物事を考えていたんだと思う。だけど子供を授かって、日々の生活は一変した。前はテレビゲームで遊ぶだけだったんだ」
人生の節目となるライフイベントのおかげもあってか、モーベルグはノルショーピンで躍動する。18年シーズンはチーム最多の10ゴールを記録。試合の中継では実況に「1対1が大好きな選手」と形容されるなど、ドリブラーとしての地位を確立させた。17年には国内リーグの選手を中心に構成される代表チームでもプレーし、スロバキア戦で代表初得点をマークしている。