ドン底スタートから選手権連覇へ。「3年の時の嬉しさはまたひと味違った」
選手権決勝から2日後、福岡に戻った金古たちは、なんと新人戦の地区大会を戦った。その2回戦で、3冠王者はあっさりと敗北を喫してしまうのだ。当然、偉大なる公式戦無敗記録にも終止符が打たれた。
痛恨の失点は、金古のミスが原因だった。
「雪じゃなくて、今度はすっごい雨でしたね。水たまりでボールが止まって、そこを目の前でかっさらわれてゴールを決められた。めちゃくちゃ落ち込みましたよ、さすがに。宮原(裕司)の指名もあって、もう新キャプテンになっていましたからね。
ああ、無敗止めちゃったなぁって……。選手権が終わってからテレビ出演やら取材やら大忙しで、ひと息つく間もなかったですから……。負けた責任の重さを感じていました」
肩を落とす金古に、声を掛けたのが志波だった。「まあ早く負けて良かったよ。これで記者さんたちも少なくなるだろう。気にするな」。金古は、この言葉に救われた。「あの段階で、3冠チームの残像を振り払えたのは大きかったです」と回想する。
それでも、新チームは大いに苦しんだ。
インターハイは初戦で初芝橋本の軍門に降り、九州大会で敗れたため、全日本ユースは出場権さえ得られなかった。それでも、選手権を連覇してみせた。金古、千代反田、宮原、榎下貴三、寺戸良平ら3冠戦士たちがさらなるグレードアップを遂げ、ふたたび決勝で対峙した帝京を下したのである。
「僕たちは3冠チームより劣る。1年中ずっと比べられ続けて、『今年のヒガシはなぁ』って言われるたびにナニクソって悔しかったし、見返してやろうって思いでいっぱいでした。このメンバーで勝ちたい。だから、3年の時の嬉しさはまたひと味違った。僕は肉離れで満身創痍でしたけど、みんなと勝ちたかったから、戦い抜けたんです」
痛恨の失点は、金古のミスが原因だった。
「雪じゃなくて、今度はすっごい雨でしたね。水たまりでボールが止まって、そこを目の前でかっさらわれてゴールを決められた。めちゃくちゃ落ち込みましたよ、さすがに。宮原(裕司)の指名もあって、もう新キャプテンになっていましたからね。
ああ、無敗止めちゃったなぁって……。選手権が終わってからテレビ出演やら取材やら大忙しで、ひと息つく間もなかったですから……。負けた責任の重さを感じていました」
肩を落とす金古に、声を掛けたのが志波だった。「まあ早く負けて良かったよ。これで記者さんたちも少なくなるだろう。気にするな」。金古は、この言葉に救われた。「あの段階で、3冠チームの残像を振り払えたのは大きかったです」と回想する。
それでも、新チームは大いに苦しんだ。
インターハイは初戦で初芝橋本の軍門に降り、九州大会で敗れたため、全日本ユースは出場権さえ得られなかった。それでも、選手権を連覇してみせた。金古、千代反田、宮原、榎下貴三、寺戸良平ら3冠戦士たちがさらなるグレードアップを遂げ、ふたたび決勝で対峙した帝京を下したのである。
「僕たちは3冠チームより劣る。1年中ずっと比べられ続けて、『今年のヒガシはなぁ』って言われるたびにナニクソって悔しかったし、見返してやろうって思いでいっぱいでした。このメンバーで勝ちたい。だから、3年の時の嬉しさはまたひと味違った。僕は肉離れで満身創痍でしたけど、みんなと勝ちたかったから、戦い抜けたんです」
最後に、金古に頼まれたことがある。
3冠を決めた第76回大会で、金古は5得点を挙げ、藤枝東のFW河村優と並んで大会得点王に輝いた。「ディフェンダー」が得点王を獲ったのは選手権史上初であり、ひとつの偉業だ。
「忘れられがちなんです。せっかくの機会なんで、強調しておいてください!」
<了>
取材・文●川原 崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
PROFILE
金古聖司/かねこ・せいじ
1980年5月27日、福岡県生まれ。小中は攻撃的MFまたはFWで鳴らしたが、東福岡高入学後にCBに転向して才能が開花。2年時に伝説の3冠を達成し、3年時には主将として選手権連覇に導く。U-20日本代表にも名を連ねた。卒業後は鹿島に入団し、レンタルで神戸、福岡、名古屋でもプレー。大小の怪我に見舞われながらも、29歳からは東南アジアに活躍の場を移し、2015年末に現役を引退した。埼玉の本庄第一高で5年間監督を務めたのち、今年春から株式会社アストニックに籍を置いてマネジメント業をスタートさせた。さらにスポーツ選手のコンディションを管理するSaaSの「ONE TAP SPORTS」の運営会社ユーフォリアでは、チームサポートとして活躍中だ。