苦労人が決めた殊勲の一撃。そして背番号10が最前線へ

当時の心境を赤裸々に明かしてくれた金古氏。穏やかな物腰は高校時代から変わらない。写真:田中研治

東福岡はこの榎下の殊勲弾で同点に追いついた。名脇役の活躍にチームが俄然勢いづく。(C)SOCCER DIGEST
先制されてから3分後、東福岡に幸運が舞い込む。宮原裕司が中央でタメを作って右サイドの古賀大三へパス。チーム一の俊足が放った渾身のミドルはしかし、雪のピッチで球速が殺され、なんと敵ゴールエリア内でピタリと止まる。対応が遅れる帝京DF陣。すかさず走り込んだ榎下貴三がゴールに押し込み、同点弾とした。
本来、左サイド不動のレギュラーは古賀誠史だった。強烈なキャノン砲を左足に宿し、インターハイでも全日本ユースでも印象的なゴールを挙げて、大会屈指のスター選手と見なされていたが、秋の国体で膝のお皿(膝蓋骨)を割ってしまう。選手権本大会にはなんとか間に合ったものの、スーパーサブに甘んじ、先発の代役を託されたのが2年生の榎下だった。
ベンチ外メンバーからコツコツと努力を重ねてようやく信頼を得た苦労人。大会中はなにかと古賀と比較されてプレッシャーもあっただろう。そんななかでも、きっちり役割を全うした男が決めた値千金の一撃だ。金古は「榎下の頑張りにはみんなが感謝していたし、グッと来るものがあった。価値は大きかったですよ」と褒め称えた。
ここで、勝負師・志波が賭けに出る。同点ゴールから4分後の前半28分、殊勲の榎下を古賀に、1トップの寺戸良平を青柳雅裕にチェンジ。帝京アタッカー陣の脅威は去ったと判断し、3バックから本来の4-1-4-1に戻し、エースの本山雅志を2列目から1トップに上げた。
1年を通じてゲーム終盤に採用してきた必殺パターンで、相手は本山の動きに引っ張られて、中央にぽっかりとスペースを提供してくれる。そこを、得点力の高いシャドーの青柳と宮原が蹂躙するのだ。志波が自賛するところの「分かっていても止められない」勝利の方程式だった。
前半が終わる頃には本来のパスワークを随所で披露し、雪上とは思えないスペクタクルなサッカーを展開。金古は「自分たちのサッカーを取り戻せたな、って感じました。これならば失点はしない。絶対にしない」と確信したという。
本来、左サイド不動のレギュラーは古賀誠史だった。強烈なキャノン砲を左足に宿し、インターハイでも全日本ユースでも印象的なゴールを挙げて、大会屈指のスター選手と見なされていたが、秋の国体で膝のお皿(膝蓋骨)を割ってしまう。選手権本大会にはなんとか間に合ったものの、スーパーサブに甘んじ、先発の代役を託されたのが2年生の榎下だった。
ベンチ外メンバーからコツコツと努力を重ねてようやく信頼を得た苦労人。大会中はなにかと古賀と比較されてプレッシャーもあっただろう。そんななかでも、きっちり役割を全うした男が決めた値千金の一撃だ。金古は「榎下の頑張りにはみんなが感謝していたし、グッと来るものがあった。価値は大きかったですよ」と褒め称えた。
ここで、勝負師・志波が賭けに出る。同点ゴールから4分後の前半28分、殊勲の榎下を古賀に、1トップの寺戸良平を青柳雅裕にチェンジ。帝京アタッカー陣の脅威は去ったと判断し、3バックから本来の4-1-4-1に戻し、エースの本山雅志を2列目から1トップに上げた。
1年を通じてゲーム終盤に採用してきた必殺パターンで、相手は本山の動きに引っ張られて、中央にぽっかりとスペースを提供してくれる。そこを、得点力の高いシャドーの青柳と宮原が蹂躙するのだ。志波が自賛するところの「分かっていても止められない」勝利の方程式だった。
前半が終わる頃には本来のパスワークを随所で披露し、雪上とは思えないスペクタクルなサッカーを展開。金古は「自分たちのサッカーを取り戻せたな、って感じました。これならば失点はしない。絶対にしない」と確信したという。
迎えたハーフタイム、金古は志波に掛けられた言葉をいまでも忘れていない。
「長かった1年も、あと40分で終わり。先生はやっぱり締め方が上手いんです。最後の最後まで『自分たちのサッカーをやろう、仲間を信じろ』の言葉で送り出してもらいました。すごく良いムードでしたよ」
後半5分、東福岡と志波の狙いがものの見事に結実する。
<後編につづく>
取材・文●川原 崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
PROFILE
金古聖司/かねこ・せいじ
1980年5月27日、福岡県生まれ。小中は攻撃的MFまたはFWで鳴らしたが、東福岡高入学後にCBに転向して才能が開花。2年時に伝説の3冠を達成し、3年時には主将として選手権連覇に導く。U-20日本代表にも名を連ねた。卒業後は鹿島に入団し、レンタルで神戸、福岡、名古屋でもプレー。大小の怪我に見舞われながらも、29歳からは東南アジアに活躍の場を移し、2015年末に現役を引退した。埼玉の本庄第一高で5年間監督を務めたのち、今年春から株式会社アストニックに籍を置いてマネジメント業をスタートさせた。さらにスポーツ選手のコンディションを管理するSaaSの「ONE TAP SPORTS」の運営会社ユーフォリアでは、チームサポートとして活躍中だ。