相手を威圧するような「立ち姿」ができる人間が集団になれば、「強い」チームになる。
要するに、上半身は自然に肩の力が抜け、下半身の力もほど良く抜ければ、ちょうど良く身体がまとまり、全身で力が伝わる。
緊張せずに伸びやかに、身体の構成が整うか。身体がひとつになれるかがポイントだ。火事場の馬鹿力やヤカンを触ってしまった時の反射スピードがこれだ。
ここでひと言。
「自然」とは「自分らしさ」
この自然が自分らしさとなった時、最高の立ち姿となる。そして僕の言う「自分らしさ」とは「自分だけ」のことではなく、自分自身のことでもある。自分のためにだけ「自分らしく」あるのではなく、人のためにつながる「自分らしさ」が必要だ。これを鍛え、成長しなければ、ならないということだ。
考えないでできるようになるために考える。意識しないでできるようになるために意識する。考えず、意識せずに立つ――これが「自然に立つ」ということだ。
監督であれば監督の立ち姿が勝敗に影響する時もあるのであろう。監督の表情、顔色、眼つき……。監督の立ち姿から、ピッチで動く選手たちに影響することもあるだろう。
タイの格闘技であるムエタイで例えれば、立っている姿を見るだけで怖くなる選手だ。 こんな話を聞いたことがある。あるムエタイの試合でAという選手が、意気込んだ相手選手に「お前を一発で倒す!」と言われたが、それを言われたA選手のセコンドからは「おまえは一瞬で倒せ!」という指示が出たらしい。
しかし、A選手はそんな指示が出ていたにもかかわらず、第1Rに一発も打たなかったそうだが、なんと勝ったのはA選手のほうだった。意気込んでいた相手選手は2R目になると、そこに立っていただけのA選手の強さを肌で感じ、リングの中央に出て来られなかったというのだ。結局、試合はA選手のTKO勝ちになった。相手を威圧する間合い、空気感、オーラ……。そんな雰囲気をまとった立ち姿には、敵も脅威を感じるということだろう。
相手が迫ってきても、自分がどんな危機的状況、苦しい立場になっても動揺しない。相手に隙を感じさせず、近づき過ぎず、遠過ぎず。相手が一番嫌がる距離で自然に立つ。サファリーパークの猛獣たちも帰ってしまうような「立ち姿」ができる、そんな人間が集団となれば、きっと「強い」チームになる。そんな「自分らしい」サッカーができれば。そして「自分らしく」生きられればと思っている。
2015年6月8日
三浦泰年
緊張せずに伸びやかに、身体の構成が整うか。身体がひとつになれるかがポイントだ。火事場の馬鹿力やヤカンを触ってしまった時の反射スピードがこれだ。
ここでひと言。
「自然」とは「自分らしさ」
この自然が自分らしさとなった時、最高の立ち姿となる。そして僕の言う「自分らしさ」とは「自分だけ」のことではなく、自分自身のことでもある。自分のためにだけ「自分らしく」あるのではなく、人のためにつながる「自分らしさ」が必要だ。これを鍛え、成長しなければ、ならないということだ。
考えないでできるようになるために考える。意識しないでできるようになるために意識する。考えず、意識せずに立つ――これが「自然に立つ」ということだ。
監督であれば監督の立ち姿が勝敗に影響する時もあるのであろう。監督の表情、顔色、眼つき……。監督の立ち姿から、ピッチで動く選手たちに影響することもあるだろう。
タイの格闘技であるムエタイで例えれば、立っている姿を見るだけで怖くなる選手だ。 こんな話を聞いたことがある。あるムエタイの試合でAという選手が、意気込んだ相手選手に「お前を一発で倒す!」と言われたが、それを言われたA選手のセコンドからは「おまえは一瞬で倒せ!」という指示が出たらしい。
しかし、A選手はそんな指示が出ていたにもかかわらず、第1Rに一発も打たなかったそうだが、なんと勝ったのはA選手のほうだった。意気込んでいた相手選手は2R目になると、そこに立っていただけのA選手の強さを肌で感じ、リングの中央に出て来られなかったというのだ。結局、試合はA選手のTKO勝ちになった。相手を威圧する間合い、空気感、オーラ……。そんな雰囲気をまとった立ち姿には、敵も脅威を感じるということだろう。
相手が迫ってきても、自分がどんな危機的状況、苦しい立場になっても動揺しない。相手に隙を感じさせず、近づき過ぎず、遠過ぎず。相手が一番嫌がる距離で自然に立つ。サファリーパークの猛獣たちも帰ってしまうような「立ち姿」ができる、そんな人間が集団となれば、きっと「強い」チームになる。そんな「自分らしい」サッカーができれば。そして「自分らしく」生きられればと思っている。
2015年6月8日
三浦泰年