メッシとアグエロの最初の出会いは…
メッシがアグエロを初めて見たのはテレビのブラウン管を通してだった。アグエロがアルゼンチン・リーグ1部で史上最年少デビューを果たした2003年だった。メッシは当時をこう述懐している。
「その時のことは今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。顔や名前に関してはそこまでではない。特に名前は覚えにくかったしね。でもあの若さでサッカーの世界で偉大な第一歩を踏み出したことが強く印象に残った。それは僕自身が何度も想像していたことだった」
2人が出会ったのはそれから2年後、U-20アルゼンチン代表においてだった。メッシはアグエロにこう話しかけられたそうだ。「おい、名前なんていうんだ」。その後の練習でメッシの実力をまざまざと見せつけられたアグエロは2人が宿泊先のホテルでルームメイトになることを知った。
ポジションが同じ選手同士がルームメイトになるというのは当時ではよくあることだった。その決定を喜んだアグエロに対し、メッシは不満げな表情を浮かべたという。(パブロ)サバレタ、(エセキエル)ガライ、(フェルナンド)ガゴといった主力選手と同部屋になることを望んでいたからだ。
当時の監督、フランシスコ・フェラーロは「どうしたんだい」と尋ねた後、こう言って納得させたという。「私たちのことを信じなさい。2日間試して、それでも嫌だったら、変更すればいい」
「その時のことは今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。顔や名前に関してはそこまでではない。特に名前は覚えにくかったしね。でもあの若さでサッカーの世界で偉大な第一歩を踏み出したことが強く印象に残った。それは僕自身が何度も想像していたことだった」
2人が出会ったのはそれから2年後、U-20アルゼンチン代表においてだった。メッシはアグエロにこう話しかけられたそうだ。「おい、名前なんていうんだ」。その後の練習でメッシの実力をまざまざと見せつけられたアグエロは2人が宿泊先のホテルでルームメイトになることを知った。
ポジションが同じ選手同士がルームメイトになるというのは当時ではよくあることだった。その決定を喜んだアグエロに対し、メッシは不満げな表情を浮かべたという。(パブロ)サバレタ、(エセキエル)ガライ、(フェルナンド)ガゴといった主力選手と同部屋になることを望んでいたからだ。
当時の監督、フランシスコ・フェラーロは「どうしたんだい」と尋ねた後、こう言って納得させたという。「私たちのことを信じなさい。2日間試して、それでも嫌だったら、変更すればいい」
その後、メッシとアグエロが離れることはなかった。ピッチ上でも2人は息の合ったプレーを見せた。アグエロはアルゼンチン代表歴代3位の通算42得点を叩き出しているが、そのうち9点はメッシのアシストによるもので、最多の数字だ。一方、メッシもアグエロのパスから最多の5得点を記録している。
記者会見の席で、アグエロは「もちろん一緒にプレーしたい。最終的にはレオがクラブと話し合って決めることだけど、残ってくれるだろうという予感はあるよ。レオとは毎日話をしている。内容は明かすことはできないけどね。彼と一緒に毎日練習できるなんてことになれば、夢のようだ」と目を輝かせた。
アグエロはカンプ・ノウでも2人の友情の花を咲かすことを願っている。
文●ファン・I・イリゴジェン(エル・パイス紙バルサ番記者)
翻訳●下村正幸
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙のコラム・記事・インタビューを翻訳配信しています。
記者会見の席で、アグエロは「もちろん一緒にプレーしたい。最終的にはレオがクラブと話し合って決めることだけど、残ってくれるだろうという予感はあるよ。レオとは毎日話をしている。内容は明かすことはできないけどね。彼と一緒に毎日練習できるなんてことになれば、夢のようだ」と目を輝かせた。
アグエロはカンプ・ノウでも2人の友情の花を咲かすことを願っている。
文●ファン・I・イリゴジェン(エル・パイス紙バルサ番記者)
翻訳●下村正幸
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