選手引退後も、監督業をしながらアマチュアでプレー
ヴァーグナーは当時引っ越してきたばかりで日が浅く、ナーゲルスマンのことを知らなかった。以前からスポーツにかかわりを持っていた彼は、引越先でも「スポーツに何か関わりたいな」と思い、地元紙に広告を出した。するとFCイッシングからコンタクトがあり、その後はいろんな関わり合いを経て、会長をするようになったという。
クラブのトップチームはアマチュアの下部リーグに所属している。他のドイツのアマチュアクラブと同じように、本職ではなく、趣味のような位置づけでやっている選手が多い。だが、それでもできることなら戦力補強をし、リーグで上位を狙いたい。ヴァーグナーはナーゲルスマンに選手として助けてくれないかとオファーを出してみたところ、答えは条件付きでオッケーだった。
「当時ユリアンは、ホッフェンハイムU-17の監督だったんだ。だから週内は向こう。ただ土曜日にホッフェンハイムU-17の試合があるときは、フリーとなる日曜日に戻ってきて、試合に出てくれる、ということで折り合いをつけることができた」
クラブのトップチームはアマチュアの下部リーグに所属している。他のドイツのアマチュアクラブと同じように、本職ではなく、趣味のような位置づけでやっている選手が多い。だが、それでもできることなら戦力補強をし、リーグで上位を狙いたい。ヴァーグナーはナーゲルスマンに選手として助けてくれないかとオファーを出してみたところ、答えは条件付きでオッケーだった。
「当時ユリアンは、ホッフェンハイムU-17の監督だったんだ。だから週内は向こう。ただ土曜日にホッフェンハイムU-17の試合があるときは、フリーとなる日曜日に戻ってきて、試合に出てくれる、ということで折り合いをつけることができた」
ナーゲルスマンはゲームメーカーとして活躍し、FCイッシングは地域リーグで優勝を果たし、昇格を果たした。それはもう、地域総出のお祭り騒ぎだ。ドイツのグラスルーツでは伝統的にリーグ優勝を果たすと、みんなでトラクターの荷台に乗って、地元でパレードをするのだが、FCイッシングの面々、もちろんナーゲルスマンも一緒になって喜びあった。
「その日のうちにホッフェンハイムの戻らないといけなかったから、アルコールは口にしていなかったね。パレードが終わったらクラブハウスでシャワーを浴びて、車で戻っていったよ」(ヴァーグナー)
ナーゲルスマンはその後もFCイッシングとのコンタクトをもっている。クラブ会員をホッフェンハイムの試合に招待したり、16年にはクラブ主催のサッカートーナメントに参加したりもした。ホッフェンハイム時代のインタビューでは「昔の仲間と喋ってゆっくりするチャンスがあるなら、それを大事にするよ」と語っていたこともある。
ヴァーグナーは「今もそうだが、ユリアンは礼儀正しくて、インテリジェンスの高い青年だった。当時からプロ選手になることができなかったら、監督としてやっていきたいと話していたなぁ」と懐かしそうに振り返っていた。
プロのサッカー指導者は常にメディアの好奇の視線に追いかけられ、モニターの向こうではいつでもプロフェッショナルな立ち振る舞いをしなければならない。
厳しさの中で身を律し、時に残酷な決断をしなければならないこともある。プロのスポーツで生きるというのはそういうことでもあるのだろう。でもそれだけが彼らの姿ではないのだ。
サッカーの美しさ、サッカーの楽しさ、サッカーが築き上げるつながりの大切さ、仲間とともにボールを追いかけてきる時間の素晴らしさ。
彼らの心の中にいつもあって、彼らの思いを支え続けているのは、そんな自分が心から愛したサッカーへの郷愁なのかもしれない。
筆者プロフィール/中野吉之伴(なかの きちのすけ)
ドイツサッカー協会公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に「サッカー年代別トレーニングの教科書」「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」。WEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)を運営中
「その日のうちにホッフェンハイムの戻らないといけなかったから、アルコールは口にしていなかったね。パレードが終わったらクラブハウスでシャワーを浴びて、車で戻っていったよ」(ヴァーグナー)
ナーゲルスマンはその後もFCイッシングとのコンタクトをもっている。クラブ会員をホッフェンハイムの試合に招待したり、16年にはクラブ主催のサッカートーナメントに参加したりもした。ホッフェンハイム時代のインタビューでは「昔の仲間と喋ってゆっくりするチャンスがあるなら、それを大事にするよ」と語っていたこともある。
ヴァーグナーは「今もそうだが、ユリアンは礼儀正しくて、インテリジェンスの高い青年だった。当時からプロ選手になることができなかったら、監督としてやっていきたいと話していたなぁ」と懐かしそうに振り返っていた。
プロのサッカー指導者は常にメディアの好奇の視線に追いかけられ、モニターの向こうではいつでもプロフェッショナルな立ち振る舞いをしなければならない。
厳しさの中で身を律し、時に残酷な決断をしなければならないこともある。プロのスポーツで生きるというのはそういうことでもあるのだろう。でもそれだけが彼らの姿ではないのだ。
サッカーの美しさ、サッカーの楽しさ、サッカーが築き上げるつながりの大切さ、仲間とともにボールを追いかけてきる時間の素晴らしさ。
彼らの心の中にいつもあって、彼らの思いを支え続けているのは、そんな自分が心から愛したサッカーへの郷愁なのかもしれない。
筆者プロフィール/中野吉之伴(なかの きちのすけ)
ドイツサッカー協会公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に「サッカー年代別トレーニングの教科書」「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」。WEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)を運営中