監督の仕事とは漢(おとこ)になること
果たして選手は監督の何処を見ているのか? 僕らは選手時代、監督の何処を見て来たのか?
これが僕の手本となる根底にある考え方にあった。
そして、選手は監督が「男であるか、どうか」を見ている、と僕は思うのだ。確かに、選手時代はそういう感覚を持っていたことを覚えている。
選手の前でも、フロント(監督を決める人)の前でも良いことを言い、両者への言うことが違う。
怪我をした選手に「大丈夫か? 気にするな! しっかり休め」と声を掛け、フロントには「怪我ばかりして使えない選手だ!」と言う。
選手にも若手とベテランへの態度が明らかに違い過ぎる。
ベテラン選手はたくさんのことが免除され、若い選手はその分、怒られる。要求されるのではなく、その分、八つ当たりされる。
あるいは、極端に特別扱いされる選手もいて、チーム内での立場が別れる。
そんな監督をいつも観察しているのが、選手であり、監督がどうであれ、選手として自分を信じて闘う。それは昔も今も変わらないのか?
そして僕はやはり、「男」を感じる監督が好きであった。
それを男と表現することさえも難しくなった今は、表現を「漢(おとこ)」とすればしっくりするのであろう。今の時代は女性監督も存在して多様性、ジェンダーを尊重する時代だ。
男を漢という字に変えれば理解してもらえるのかは分からないが、この話は事実であり、本当だ。嘘ではない。
監督は選手の何百倍も大変だ。何十人の選手にいつも漢(男)かを見られているのだから。
快か不快か? 選手は人気者になり人気選手と呼ばれる。監督は嫌われ者になる。快の人を大切にし、不快な人を快にしようとは一切考えない。
不快は不快なままでよい。ただ快な人たちと信じ合い、快でも不快でもない人達を快へ近づければ良い。
選手は不快なサポーターを、活躍してチームを勝たせて快にさせることができる。
いったん選手を退けば、それはなかなか難しい。そして、そんなことは選手時代には全く考えなくても良かった。
しかし、グッドスタンダード。監督になれば考えなければならない。そして、責任と覚悟を決めて契約を全うする。苦しくて逃げ出したくなったとしても逃げずに闘い通す。
責任とは契約を全うすることも責任であり、契約を途中解除し、辞任するのも責任の取り方である。そういう覚悟を決めてやる仕事が監督なのである。
選手と監督の間に生まれる信頼関係とは――。これはビジネスではなく、ネゴすることではない。
契約を延ばし、1日でも長く、その立場に居座るのではなく、覚悟を決めて責任を持って孤独を感じながらチームを良くすることに集中するのが仕事であり、決して誰からも愛され、たくさんの人に支持され好かれるだけが、監督の仕事ではない。漢になること、なのである。
僕の今の立場は一番難しい。監督を離れて2年間。僕自身が人にどう思われるのかではなく。自分自身がどうであるかをしっかり解っているかが大事なのだ。人を尊重するために、自分を解っているかが一番大切なのである。
このコラムもそうだ。読んだ人がどう思うかを僕が知りたいのではなく、書いた自分自身はどう思うんだ――と、自問自答しながらパソコンのキーを叩いているのだ。
そうは言っても、まだ発信できる立場の仕事をさせてもらっている。
サッカーを通してたくさんの人が心豊かになること、感動を与える、夢を与えることをやりたい。「お前にそんな事出来るかー」と不快に思った人にそんな声を上げられたとしても、サッカーにはそういう力がある。
僕はサッカー人の一人として、真剣に僕のことを快に思う人と協力しあって、少しペースを落としてでも前に進んでいければと思う。
カズの54歳、「グッドエージング」。自分(カズ)の道を突き進んでいる!
「カズおめでとう!」
2021年2月26日
三浦泰年
これが僕の手本となる根底にある考え方にあった。
そして、選手は監督が「男であるか、どうか」を見ている、と僕は思うのだ。確かに、選手時代はそういう感覚を持っていたことを覚えている。
選手の前でも、フロント(監督を決める人)の前でも良いことを言い、両者への言うことが違う。
怪我をした選手に「大丈夫か? 気にするな! しっかり休め」と声を掛け、フロントには「怪我ばかりして使えない選手だ!」と言う。
選手にも若手とベテランへの態度が明らかに違い過ぎる。
ベテラン選手はたくさんのことが免除され、若い選手はその分、怒られる。要求されるのではなく、その分、八つ当たりされる。
あるいは、極端に特別扱いされる選手もいて、チーム内での立場が別れる。
そんな監督をいつも観察しているのが、選手であり、監督がどうであれ、選手として自分を信じて闘う。それは昔も今も変わらないのか?
そして僕はやはり、「男」を感じる監督が好きであった。
それを男と表現することさえも難しくなった今は、表現を「漢(おとこ)」とすればしっくりするのであろう。今の時代は女性監督も存在して多様性、ジェンダーを尊重する時代だ。
男を漢という字に変えれば理解してもらえるのかは分からないが、この話は事実であり、本当だ。嘘ではない。
監督は選手の何百倍も大変だ。何十人の選手にいつも漢(男)かを見られているのだから。
快か不快か? 選手は人気者になり人気選手と呼ばれる。監督は嫌われ者になる。快の人を大切にし、不快な人を快にしようとは一切考えない。
不快は不快なままでよい。ただ快な人たちと信じ合い、快でも不快でもない人達を快へ近づければ良い。
選手は不快なサポーターを、活躍してチームを勝たせて快にさせることができる。
いったん選手を退けば、それはなかなか難しい。そして、そんなことは選手時代には全く考えなくても良かった。
しかし、グッドスタンダード。監督になれば考えなければならない。そして、責任と覚悟を決めて契約を全うする。苦しくて逃げ出したくなったとしても逃げずに闘い通す。
責任とは契約を全うすることも責任であり、契約を途中解除し、辞任するのも責任の取り方である。そういう覚悟を決めてやる仕事が監督なのである。
選手と監督の間に生まれる信頼関係とは――。これはビジネスではなく、ネゴすることではない。
契約を延ばし、1日でも長く、その立場に居座るのではなく、覚悟を決めて責任を持って孤独を感じながらチームを良くすることに集中するのが仕事であり、決して誰からも愛され、たくさんの人に支持され好かれるだけが、監督の仕事ではない。漢になること、なのである。
僕の今の立場は一番難しい。監督を離れて2年間。僕自身が人にどう思われるのかではなく。自分自身がどうであるかをしっかり解っているかが大事なのだ。人を尊重するために、自分を解っているかが一番大切なのである。
このコラムもそうだ。読んだ人がどう思うかを僕が知りたいのではなく、書いた自分自身はどう思うんだ――と、自問自答しながらパソコンのキーを叩いているのだ。
そうは言っても、まだ発信できる立場の仕事をさせてもらっている。
サッカーを通してたくさんの人が心豊かになること、感動を与える、夢を与えることをやりたい。「お前にそんな事出来るかー」と不快に思った人にそんな声を上げられたとしても、サッカーにはそういう力がある。
僕はサッカー人の一人として、真剣に僕のことを快に思う人と協力しあって、少しペースを落としてでも前に進んでいければと思う。
カズの54歳、「グッドエージング」。自分(カズ)の道を突き進んでいる!
「カズおめでとう!」
2021年2月26日
三浦泰年