「出身なんてくそくらえ」
世代のトップレベルには程遠い環境でプレーを続けるうちに、幼少期に抱いていたプロサッカー選手への憧れも徐々に薄れていき、高校時代はリアリティに欠ける夢となっていたという。
「Jクラブのジュニアユースに入る機会もあったんですけど、その決断ができずに、そこから中体連、高体連と進むうちに、自分のなかでプロになるというのが現実味を帯びた話ではなくなっていました。今だから、その決断が良かったと思えるんですけど、当時は逃げの選択というか、そういう考えになることが多かった。将来のことを気にしてしまって進学校に行ったほうがいいのかなとか」
ところが東京学芸大でその考えが一変する。なにより大学サッカーというハイレベルな世界に身を置いたことでプロへの想いが再び芽生えたのは、進路を決めるうえで大きかった。
「学芸大に入学できることになって、より高いレベルでやれたので、そこからまたプロになりたいという気持ちが強くなってきました」
サッカーに対する意識が変わった一木は、クラブユースや強豪高校の出身者が混じるチームのなかで、4年次には10番を着け、副キャプテンを担うまでに成長する。全国的に無名な高校の出身という事実も意に介さなかった。むしろ、そこから這い上がるモチベーションに変えたのである。
「Jクラブのジュニアユースに入る機会もあったんですけど、その決断ができずに、そこから中体連、高体連と進むうちに、自分のなかでプロになるというのが現実味を帯びた話ではなくなっていました。今だから、その決断が良かったと思えるんですけど、当時は逃げの選択というか、そういう考えになることが多かった。将来のことを気にしてしまって進学校に行ったほうがいいのかなとか」
ところが東京学芸大でその考えが一変する。なにより大学サッカーというハイレベルな世界に身を置いたことでプロへの想いが再び芽生えたのは、進路を決めるうえで大きかった。
「学芸大に入学できることになって、より高いレベルでやれたので、そこからまたプロになりたいという気持ちが強くなってきました」
サッカーに対する意識が変わった一木は、クラブユースや強豪高校の出身者が混じるチームのなかで、4年次には10番を着け、副キャプテンを担うまでに成長する。全国的に無名な高校の出身という事実も意に介さなかった。むしろ、そこから這い上がるモチベーションに変えたのである。
クラブユースや強豪校の出身者が背負ってきた10番を、強豪でもない高校から、それも一般入試で入ってきた選手がつけるのは、学芸大の歴史でも珍しいことである。
「出身なんてくそくらえ」。それが一木の信条である。
「『出身』は常についてまわるステータスですけど、そういう意味で言うと、僕は何も持っていないようなもの。でも、そこは気にしないで大学4年間はやってきた。プロでもそれは継続して、プレーで勝負していきたい」
そうした“叩き上げ根性”は、選手としての振る舞いにも表われている。一木は事あるごとにあえて自分にプレッシャーをかけてきた。
プロ1年目に群馬の出世番号である26番を自ら選び、新加入発表会見で二桁得点を目指すと宣言した。これはいずれも自分に発破をかけるためだ。
「出身なんてくそくらえ」。それが一木の信条である。
「『出身』は常についてまわるステータスですけど、そういう意味で言うと、僕は何も持っていないようなもの。でも、そこは気にしないで大学4年間はやってきた。プロでもそれは継続して、プレーで勝負していきたい」
そうした“叩き上げ根性”は、選手としての振る舞いにも表われている。一木は事あるごとにあえて自分にプレッシャーをかけてきた。
プロ1年目に群馬の出世番号である26番を自ら選び、新加入発表会見で二桁得点を目指すと宣言した。これはいずれも自分に発破をかけるためだ。