「そんな蹴り方じゃだめだ」マラドーナがメッシに伝授した“必殺技”
そしてその1年後の2008年、両者に大きな転機が訪れる。マラドーナがアルゼンチン代表の監督に就任したのだ。ポストに就くやマラドーナが真っ先に要望したのが、バロンドールの獲得レースでに度とクリスチアーノ・ロナウドの後塵を拝さないことだった。さらに当時アルゼンチン代表のフィジカルコーチだったフェルナンド・シグノリーニによると、FKでこんな助言を与えたという。
「ボールを捉えた後、そんなに早く足を離してはいけない。そのようなやり方では、ボールはお前が何をしたいのか理解できない」
しかし、メッシとマラドーナの共闘は長くは続かなかった。最大の目標だった2010年南アフリカW杯で、アルゼンチンはドイツ代表に0-4の惨敗を喫し、ベスト8で敗退。マラドーナは代表を去った。
その後、両者は数えるほどしか顔を合わせることはなかった。「メッシはリーダーにはなれない。試合前に20回もトイレに行くようではね」と、マラドーナは時にメッシを挑発するような発言をすることもあったが、温かくその活躍を見守った。
マラドーナはスラム街で育った。「奪われた地域だ。電気も水もガスも何もかも奪われていた」と、皮肉を込めて当時の思い出を語っていたものだ。対してメッシはアルゼンチン国内の政情に左右されもしたが、中流階級の出身だ。
「幼い頃から、ディエゴが一家(マラドーナは8人兄弟の5番目として生まれた)を支えていた。彼ひとりでね。大きな負担だったのは間違いない」
姉妹のマリア・ロサがこう振り返れば、アルゼンチンのスポーツ誌『エル・グラフィコ』の元ディレクターで、マラドーナの自伝の著者でもあるエルネスト・チェルキス・ビアロは次のように綴っている。
「メッシは父親の息子で、母親の息子で、兄の弟で、妹の兄だ。チームメイトから一番と認められ、世界最高選手の称号を手に入れた。人生の局面局面で、常にロジカルな役割を与えられてきた。切羽詰まった生き方を強いられることはなく、例えば借金を背負わされることもなかった。だからメッシの振る舞いは常に控えめで常識的だ。われわれと同じだ。
メディアの人間が特別な存在として扱っても、素顔の彼はまったくそんなところはなく、スポットライトの当たる世界にも向いてはいない。一方、マラドーナは、両親の父親で、兄弟の父親だった。友人たちにとってはスーパーな友人であり、彼らは常にその庇護にあずかろうとした。メッシは生まれ育った環境の中で、育まれ鍛えられ成長・成熟していった。ロジカルなプロセスを経てひとりの少年が大人になった」
マラドーナはピッチ内外でずば抜けた存在であり続けた。メッシが特別なのはピッチ上だけである。
文●ファン・I・イリゴジェン(エル・パイス紙バルセロナ番)
翻訳:下村正幸
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙の記事を翻訳配信しています。
「ボールを捉えた後、そんなに早く足を離してはいけない。そのようなやり方では、ボールはお前が何をしたいのか理解できない」
しかし、メッシとマラドーナの共闘は長くは続かなかった。最大の目標だった2010年南アフリカW杯で、アルゼンチンはドイツ代表に0-4の惨敗を喫し、ベスト8で敗退。マラドーナは代表を去った。
その後、両者は数えるほどしか顔を合わせることはなかった。「メッシはリーダーにはなれない。試合前に20回もトイレに行くようではね」と、マラドーナは時にメッシを挑発するような発言をすることもあったが、温かくその活躍を見守った。
マラドーナはスラム街で育った。「奪われた地域だ。電気も水もガスも何もかも奪われていた」と、皮肉を込めて当時の思い出を語っていたものだ。対してメッシはアルゼンチン国内の政情に左右されもしたが、中流階級の出身だ。
「幼い頃から、ディエゴが一家(マラドーナは8人兄弟の5番目として生まれた)を支えていた。彼ひとりでね。大きな負担だったのは間違いない」
姉妹のマリア・ロサがこう振り返れば、アルゼンチンのスポーツ誌『エル・グラフィコ』の元ディレクターで、マラドーナの自伝の著者でもあるエルネスト・チェルキス・ビアロは次のように綴っている。
「メッシは父親の息子で、母親の息子で、兄の弟で、妹の兄だ。チームメイトから一番と認められ、世界最高選手の称号を手に入れた。人生の局面局面で、常にロジカルな役割を与えられてきた。切羽詰まった生き方を強いられることはなく、例えば借金を背負わされることもなかった。だからメッシの振る舞いは常に控えめで常識的だ。われわれと同じだ。
メディアの人間が特別な存在として扱っても、素顔の彼はまったくそんなところはなく、スポットライトの当たる世界にも向いてはいない。一方、マラドーナは、両親の父親で、兄弟の父親だった。友人たちにとってはスーパーな友人であり、彼らは常にその庇護にあずかろうとした。メッシは生まれ育った環境の中で、育まれ鍛えられ成長・成熟していった。ロジカルなプロセスを経てひとりの少年が大人になった」
マラドーナはピッチ内外でずば抜けた存在であり続けた。メッシが特別なのはピッチ上だけである。
文●ファン・I・イリゴジェン(エル・パイス紙バルセロナ番)
翻訳:下村正幸
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