クリスマスイブのパーティーで口にしたスピーチ
その2年後、私は再びドバイに行った。ディエゴから86年のワールドカップの思い出を聞き起こした「Así Ganamos la Copa(こうして我々は優勝した)」を書くためだ。あれは「彼による本」だったが、ディエゴはいつも「私たちの本」と呼んだ。
あの本を書くために、私たちは86年大会の全7試合を一緒に観たのだが、そこでわかったことがあった。ディエゴはあの大会以来、その重さを背負って生きていたのだ、と。実際、本の冒頭の一文は、ドバイに戻るためにブエノスアイレスを出発する前に、彼の口から無意識のうちに出たものだった。
ディエゴから誘われ、クリスマスイブを彼と、彼の家族と一緒に過ごすことができた。偶然にもディエゴがアルゼンチンにいて、しかも場所が85年に私が初めて彼にインタビューをしたマンションだったのは、運命的でもあった。
すでに他界していたドン・ディエゴ(父)とドーニャ・トタ(母)の不在は、ディエゴに大きく影響し、そのため心身共に衰えてしまっていたが、弟のラロ以外は家族が全員揃い、とても温かい雰囲気のクリスマスイブだった。
そしてディエゴらしく、伝統である0時を待たずに大量の花火を打ち上げ、まるで大規模なコンサートでも開催しているかのようにクリスマスを盛大に祝った。そして25日未明になった頃、ディエゴがパーティーに招かれていたバンドの歌い手からマイクを借り、まるで超満員のスタジアムにいるかのようにスピーチを始めた。そして厳粛な口調でこう言った。
あの本を書くために、私たちは86年大会の全7試合を一緒に観たのだが、そこでわかったことがあった。ディエゴはあの大会以来、その重さを背負って生きていたのだ、と。実際、本の冒頭の一文は、ドバイに戻るためにブエノスアイレスを出発する前に、彼の口から無意識のうちに出たものだった。
ディエゴから誘われ、クリスマスイブを彼と、彼の家族と一緒に過ごすことができた。偶然にもディエゴがアルゼンチンにいて、しかも場所が85年に私が初めて彼にインタビューをしたマンションだったのは、運命的でもあった。
すでに他界していたドン・ディエゴ(父)とドーニャ・トタ(母)の不在は、ディエゴに大きく影響し、そのため心身共に衰えてしまっていたが、弟のラロ以外は家族が全員揃い、とても温かい雰囲気のクリスマスイブだった。
そしてディエゴらしく、伝統である0時を待たずに大量の花火を打ち上げ、まるで大規模なコンサートでも開催しているかのようにクリスマスを盛大に祝った。そして25日未明になった頃、ディエゴがパーティーに招かれていたバンドの歌い手からマイクを借り、まるで超満員のスタジアムにいるかのようにスピーチを始めた。そして厳粛な口調でこう言った。
「こちらはディエゴ・アルマンド・マラドーナ。イングランド戦で2ゴールを決めた男であり、ワールドカップの重さを知っている数少ないアルゼンチン人の一人だ」
それは、私が今まで聞いた中で最も美しい、ディエゴ自身による「マラドーナの定義」だった。スピーチを終えた彼がテーブルに戻って来た時、私は彼の耳元で囁いた。「本の書き出しはもう決まったよ」と。
その後も私は数え切れないほどディエゴに会ったが、少しずつ衰弱しているようだった。1年と少し前、ヒムナシアの監督となった彼に会うためにラプラタ市を訪れた。そこで、彼が監督になったのは、「マラドーナがもう一度マラドーナになるため」に何かをしなければならないと思っていたからだったと察した。
しかし、私は彼を裁くつもりでそこに行ったのではなく、彼を理解しようと努め、一緒にいてあげるためだった――。
ディエゴとの日々は全て、私の思い出の中に焼き付けられている。
文●ダニエル・アルクッチ(フリージャーナリスト)
text by Daniel Arcucci
訳●チヅル・デ・ガルシア
translation by Chizuru de GARCIA
【著者プロフィール】
ダニエル・アルクッチ(フリージャーナリスト)
スポーツ誌『エル・グラフィコ』の記者を14年務めた後、97年から有力紙『ラ・ナシオン』の編集次長を経て、現在はフリーに。テレビ、ラジオで幅広く活躍する。マラドーナを最も良く知るジャーナリストとして有名で、『ESPN』のサッカー番組には欠かせない存在となっている。
それは、私が今まで聞いた中で最も美しい、ディエゴ自身による「マラドーナの定義」だった。スピーチを終えた彼がテーブルに戻って来た時、私は彼の耳元で囁いた。「本の書き出しはもう決まったよ」と。
その後も私は数え切れないほどディエゴに会ったが、少しずつ衰弱しているようだった。1年と少し前、ヒムナシアの監督となった彼に会うためにラプラタ市を訪れた。そこで、彼が監督になったのは、「マラドーナがもう一度マラドーナになるため」に何かをしなければならないと思っていたからだったと察した。
しかし、私は彼を裁くつもりでそこに行ったのではなく、彼を理解しようと努め、一緒にいてあげるためだった――。
ディエゴとの日々は全て、私の思い出の中に焼き付けられている。
文●ダニエル・アルクッチ(フリージャーナリスト)
text by Daniel Arcucci
訳●チヅル・デ・ガルシア
translation by Chizuru de GARCIA
【著者プロフィール】
ダニエル・アルクッチ(フリージャーナリスト)
スポーツ誌『エル・グラフィコ』の記者を14年務めた後、97年から有力紙『ラ・ナシオン』の編集次長を経て、現在はフリーに。テレビ、ラジオで幅広く活躍する。マラドーナを最も良く知るジャーナリストとして有名で、『ESPN』のサッカー番組には欠かせない存在となっている。