「とにかく夫のために、という思いだけでした」
武骨で不器用だったせいか、若い頃は公私の間に一線を引いたが、移籍と経験によって内向的な一面も変化したようだ。「サポーターと盛り上がりたいという思いがより強くなったのは(4年間在籍した)京都の終わり頃からです。同じマンションや地域の人たちと交流するうちに距離が縮まり、サポーターが身近な存在になったんです」としみじみ語る。
9月23日のアルビレックス新潟戦でJ1、J2通算551試合出場。戦歴から故障の少ない鉄人を連想するが、短期間に両ひざの前十字じん帯を断裂している。札幌時代の02年8月に右、浦和では04年9月に左、いずれも復帰までに約8か月かかった。03年6月には右ひざ半月板のオペ。横浜でも腰の激痛に悩まされ、06年4月に椎間板ヘルニアの手術をした。
そんな山瀬を支え続けてきたのが、4つ年上の理恵子夫人だ。
9月23日のアルビレックス新潟戦でJ1、J2通算551試合出場。戦歴から故障の少ない鉄人を連想するが、短期間に両ひざの前十字じん帯を断裂している。札幌時代の02年8月に右、浦和では04年9月に左、いずれも復帰までに約8か月かかった。03年6月には右ひざ半月板のオペ。横浜でも腰の激痛に悩まされ、06年4月に椎間板ヘルニアの手術をした。
そんな山瀬を支え続けてきたのが、4つ年上の理恵子夫人だ。
2度目の前十字じん帯断裂をきっかけに、Jリーグやプロ野球など一流選手の栄養・食事指導で著名な管理栄養士の川端理香さんと個人契約し、リハビリ食の基礎や怪我を回復させる栄養学を身に付けた。今では複数の媒体で料理レシピを紹介し、講習会や講演会などにも引っ張りだこの料理研究家となった。
さらにアロマテラピーインストラクターやスポーツアロマトレーナーという顔も持つ。横浜に移籍した05年夏、夫を襲った腰痛は数か月後に歩けなくなるほど悪化。理恵子さんは矢も楯もたまらずアロマに救いを求め、栄養学の時のように猛勉強した。精油といって植物から抽出した天然素材の芳香物質を使ったマッサージをはじめ、嗅覚や呼気からも成分が吸収される全身トリートメントなど、さまざまな施術に取り組んだ。
「浦和に来た年は札幌時代のプレーが戻らず、アテネ五輪代表に入れるか夫は毎日悩んでいました。彼の苦悩は私の苦悩となり、精神的に疲弊してしまいました。あの時を思えば食やアロマを学んだ苦労はなんでもありません。とにかく夫のために、という思いだけでした」
さらにアロマテラピーインストラクターやスポーツアロマトレーナーという顔も持つ。横浜に移籍した05年夏、夫を襲った腰痛は数か月後に歩けなくなるほど悪化。理恵子さんは矢も楯もたまらずアロマに救いを求め、栄養学の時のように猛勉強した。精油といって植物から抽出した天然素材の芳香物質を使ったマッサージをはじめ、嗅覚や呼気からも成分が吸収される全身トリートメントなど、さまざまな施術に取り組んだ。
「浦和に来た年は札幌時代のプレーが戻らず、アテネ五輪代表に入れるか夫は毎日悩んでいました。彼の苦悩は私の苦悩となり、精神的に疲弊してしまいました。あの時を思えば食やアロマを学んだ苦労はなんでもありません。とにかく夫のために、という思いだけでした」