「今の彼が一番好きです」偉業を達成した山瀬功治と、鉄人を支えた姉さん女房の物語

カテゴリ:Jリーグ

河野 正

2020年09月25日

「とにかく夫のために、という思いだけでした」

生涯7番目のJクラブ、愛媛で奮闘を続ける山瀬。随所でいぶし銀の異彩を放つ。写真:徳原隆元

画像を見る

 武骨で不器用だったせいか、若い頃は公私の間に一線を引いたが、移籍と経験によって内向的な一面も変化したようだ。「サポーターと盛り上がりたいという思いがより強くなったのは(4年間在籍した)京都の終わり頃からです。同じマンションや地域の人たちと交流するうちに距離が縮まり、サポーターが身近な存在になったんです」としみじみ語る。

 9月23日のアルビレックス新潟戦でJ1、J2通算551試合出場。戦歴から故障の少ない鉄人を連想するが、短期間に両ひざの前十字じん帯を断裂している。札幌時代の02年8月に右、浦和では04年9月に左、いずれも復帰までに約8か月かかった。03年6月には右ひざ半月板のオペ。横浜でも腰の激痛に悩まされ、06年4月に椎間板ヘルニアの手術をした。

 そんな山瀬を支え続けてきたのが、4つ年上の理恵子夫人だ。
 
 2度目の前十字じん帯断裂をきっかけに、Jリーグやプロ野球など一流選手の栄養・食事指導で著名な管理栄養士の川端理香さんと個人契約し、リハビリ食の基礎や怪我を回復させる栄養学を身に付けた。今では複数の媒体で料理レシピを紹介し、講習会や講演会などにも引っ張りだこの料理研究家となった。

 さらにアロマテラピーインストラクターやスポーツアロマトレーナーという顔も持つ。横浜に移籍した05年夏、夫を襲った腰痛は数か月後に歩けなくなるほど悪化。理恵子さんは矢も楯もたまらずアロマに救いを求め、栄養学の時のように猛勉強した。精油といって植物から抽出した天然素材の芳香物質を使ったマッサージをはじめ、嗅覚や呼気からも成分が吸収される全身トリートメントなど、さまざまな施術に取り組んだ。

「浦和に来た年は札幌時代のプレーが戻らず、アテネ五輪代表に入れるか夫は毎日悩んでいました。彼の苦悩は私の苦悩となり、精神的に疲弊してしまいました。あの時を思えば食やアロマを学んだ苦労はなんでもありません。とにかく夫のために、という思いだけでした」
【関連記事】
Jリーグ21年連続ゴールの偉業達成――38歳・山瀬功治を突き動かす原動力とはいったい…
「信じられない経験をした」F・トーレスが日本時代を回想!「だから1年しか滞在しなかった…」
「日本人はとても冷たく、閉鎖的だった」元J戦士ジョーが名古屋時代の苦悩を母国メディアに激白!
【セルジオ越後が選ぶJ1前半戦ベスト11】谷口彰悟は代表クラスの出来!ただ誰よりも凄いのは…
“赤い彗星”金古聖司はいま──。高校サッカー部監督として美学を貫く40歳の「埼玉奮闘記」

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト 王国の誇りを胸に
    4月10日発売
    サッカー王国復活へ
    清水エスパルス
    3年ぶりのJ1で異彩を放つ
    オレンジ戦士たちの真髄
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 特別企画
    5月1日発売
    プレミアリーグ
    スター★100人物語
    絆、ルーツ、感動秘話など
    百人百通りのドラマがここに!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 完全保存版
    1月17日発売
    第103回全国高校サッカー選手権
    決戦速報号
    前橋育英が7年ぶりの戴冠
    全47試合&活躍選手を詳報!
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ