法政大への練習参加も、まだトップ昇格の可否が下される前の7月に「一応、大学の練習にも行きなさい」とスタッフに言われ、磐田U−18の1学年上の先輩である大西遼太郎(FC岐阜)が進んだ関係で「法政大に行ってみたいです」と言ったのがきっかけだった。
「当時は実際に大学に進むまで、ショックからなかなか立ち直れませんでした。でも、進学して最初の練習で一気に払拭されて、モチベーションに溢れてきたんです」
この時、彼は別の意味でショックを受ける。それは同学年のFW上田綺世の存在だった。
「綺世はスピードとパワーがあって、シュートも強烈だし、抜け出しも上手くて、本当に『すべて揃っている選手』だと思いました。腕だけでみんなを弾き飛ばしてこじ開けていくし、守備を突破するのではなく、1人で破壊していくんです。その姿がもう衝撃的すぎて、『なぜこの選手がプロに行けなかったのか』と思いました。それに長谷川元希(ヴァンフォーレ甲府内定)も凄まじいほどうまくて、『これは俺、のんびりしていたらレギュラーにもなれないぞ』と思ったんです」
それだけではなかった。法政大サッカー部の選手たちの意識は非常に高かった。中でも1学年上のMF下澤悠太(ブラウブリッツ秋田)は毎日の食事を撮影して栄養士に送ったり、寮の食事でトンカツが出た時は衣を全て取り除いて食べていた。さらに誰よりも長くトレーニングルームにいて筋トレに励み、部屋ではサッカーの映像を食い入るように見つめていた。
「いかに自分がこれまで意識が低かったかを痛感しました。寮生活も初めてで、3人部屋ですし、身の回りのことは全部自分でしないといけないですし、自分のことだけ考えていたらやっていられない。寝る時間も高校の時は遅かったのですが、ここでは電気消す時間、寝る時間を同部屋の人と一緒にしないといけないので、それまでに洗濯したり、他の人に迷惑をかけないように意識するようになりました。料理、掃除も初めてやりましたし、サッカー部としての仕事もこなして、本当にサッカーをするためにやらなければいけないことが沢山あると学んだんです」
もしここまで急激に環境が変わると、戸惑ったり、ネガティブなことを考えてしまったりするかもしれない。しかし、人懐っこく、何よりサッカーが大好きだった森岡にとって、この環境が新鮮で、「自然とその日々が僕の中で日常になっていったんです」と、すぐに順応していった。