ひとつ気になることがあった。気持ちを乗せてプレーすることは齊藤にとってどういうことなのか?その答えをシーズン開幕直前、ことしの2月中旬、直接、尋ねた。
指揮官の言葉を引用しながら、質問を始めたが、その前に、そもそも齊藤はなぜ、あの時、指宿に突っかかってしまったのか?
「あの時はストレスだった。ケガで離れていて、チームも勝てず、自分に対して不満があって、他人に当たったこともあった。その気持ちをあの時、イブくん(指宿)が抑えてくれた」
焦り。悔しさ。不甲斐なさ。歯がゆさ。あの諍いは、齊藤の気持ちを理解した指宿が受け止めようとしたことが分かる。
では、気持ちを乗せてプレーすることとは何か? 齊藤は「本能」と答えた。
「悔しさとか……サッカーで起きたことは、サッカーでしか返すことはできない。それは昔からサッカーをやってきているので特別に意識していることではない」
ただし、「本能」によってプレーするとはいえ、浮嶋監督が触れたようにプレーを見る限りは、怒りや悔しさに任せ、ただただ自分勝手にプレーしているようには見えない。
齊藤にとって気持ちを乗せてプレーすることとは?
「でも、できるようになったのはホントに最近のこと。まだまだできていないけど、以前に比べれば、できるようになった。怒りのままにプレーしても良いことはなかったので、周りを見て、考えながらプレーするようになった。なぜ抑制してできるようになったのか?それはシンプルに経験から覚えたから」
思いを乗せてプレーするのは本能――。
馬入で、BMWスタジアムで、そして五輪の舞台で。自分の思い、誰かの思いをプレーに乗せ、齊藤未月が躍動する。
取材・文●佐藤亮太