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30歳でJ1に出世した遅咲きの苦労人。町田の7年間で見てきたストライカーの流儀【番記者コラム】

カテゴリ:Jリーグ

郡司 聡

2020年05月02日

町田での晩年は大怪我が最後まで尾を引いた

 しかし、町田で雌伏の時がなかったわけではない。16年の8月に左アキレス腱損傷の大怪我を負い、復帰まで約1年を要した。そのため、18年限りで町田を去るまでに、トップフォームを取り戻したとは言い難かった。それでも、本人は得点感覚をより研ぎ澄ませるために、川崎の小林悠がゴールを決めれば、得点シーンを貴重な教材として活かしてきた。

「味方がサイドをえぐった際の動き出しや、相手を外すときの動きが上手いですし、背は大きくなくても、クロスに合わせる動きも優れているから、すごく参考になる選手です」
 
 17年にMVPと得点王の“ダブル受賞”を成し遂げた川崎のエースから学ぶことは多かったようだ。

 町田での晩年は前述の大怪我が最後まで尾を引いた。退団時には「良かった時の自分と、今(当時)の自分を比べると、納得がいくプレーはできていない」と話している。周囲はどうしても“全盛期の残像”が拭えず、負傷前の彼に戻ることを期待し、それを求めていた。

 そうした重圧や、過去の自分と今の自分の狭間で揺れていた葛藤も、本人の中ではひとつの足枷となったようだ。「そういうところからも解放されることへの嬉しさもある」。退団時に話していたこの言葉が、すべてを物語っているだろう。

 退団の翌年にあたる19年、“孝司ロス”で町田のサポーターは悲しみに暮れた。しかし琉球を経由し、かつてのエースはトップカテゴリーの選手として、遅咲きのJ1初ゴールも記録した。町田サポーターは彼の活躍を心底喜んだが、もしかしたら、ポッカリと心に空いた穴は、まだ完全には塞がっていないのかもしれない。

 それほど、「鈴木孝司」は町田サポーターにとって、特別な存在だった。C大阪への出世街道を歩むにあたって、礎を築いた町田での7年という時間は尊く、孝司とサポーターが蜜月の時を過ごした絆の証でもある。

取材・文●郡司 聡(フリーライター)
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