「森保はずっと、監督候補だった」。広島をJ1初優勝に導いた指揮官の就任秘話

カテゴリ:Jリーグ

中野和也

2020年04月28日

オファーを受けた当初は「ミシャさんの後が俺でいいのか」と考えた

監督就任1年目でJ1優勝に導いた森保監督。見事な手腕だった。(C)SOCCER DIGEST

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 森保自身、オファーを受けた当初は「ミシャさんの後が俺でいいのか」と考えたという。しかし「挑戦したい」という気持ちが逡巡を跳ね返し、ペトロヴィッチ前監督に「広島の監督に就任することになりました」と挨拶を終えたうえで、就任記者会見に臨んだ。

 その会見は、11年12月8日に行なわれた。その4年前、広島がJ2降格を余儀なくされたあの日に、森保新監督は記者たちの前に立った。07年のあの時、「誰になんと言われていようと、私はミシャと共にやっていく」と前代未聞の「降格監督続投人事」を発表した久保会長は、森保新監督に対してこんな言葉を贈っている。

「逃げることなく、強い監督であれ。君を選択したのは我々なんだから、責任は我々がとる。思い切ってやれ」
 森保監督就任に動いた本谷社長は当時、監督決定のポイントとして「(ペトロヴィッチ監督が築いてきた)攻撃サッカーを継承できる人材であること、そしてやはり人間性ですね。周りからリスペクトされている人物がふさわしい」と語っている。監督経験のなさについても「指導者としての経験は積んでいる」と意に介していなかった。

 本谷社長は森保一という人物に対して、絶対的と言っていい信頼を置いていた。現役の時からずっと、その信頼は変わらない。どんな場所に行っても広島への愛情は深く、一方で常に謙虚な気持ちを忘れずに研鑽を続ける姿勢。だらかこそ、生え抜き監督第一号である森保を絶対に成功させねばならない。
 
 その信頼のメッセージこそ、「たとえJ2に落ちたとしても、森保監督は継続する」というサポーターズ・カンファレンスでの言葉だった。

「選手のレベルを考えても、トレーニングの内容を見ても、降格するなんてこれっぽっちも、考えていなかった。それでも敢えて、そういうメッセージを発したのは、クラブとしての意思をサポーターや選手に明確に、伝えるためだった」

 森保監督も動いた。チーム全員に対して「一緒に戦ってほしい」と電話で連絡。ペトロヴィッチ監督退任でショックを受けていた選手たちの気持ちを立て直し、前任者時代にチャンスを得られなかった人材、例えば清水航平のような実力者に「やってやろう」という気概を燃え上がらせた。
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