大きな注目を集めた「ドン」と「チェアマン」の対立構造
それからわずか1年ほどで、「独裁者」とまで呼ばれるとは、新参者の勢いが社会にどれほど大きなインパクトを与えていたかを、むしろ浮彫りにしていたのだろう。
ヴェルディ幹部が1か月前、対面を回避しようとした2人が、はからずも出版パーティーでニアミスしてしまった。
「だから出版パーティーに到着し、渡邉さんがいらしていると聞き、あぁ気が重いなぁ、とね。ところが司会のアナウンサーが突然、『今日は川淵さんがいらしています、ここでスピーチをお願いしましょう!!』なんて、予定になかったのに紹介してしまった。場の雰囲気を壊しちゃいけないし、渡邉さんはいらっしゃるし、それにあの頃は、どこに行ってもできる限りJリーグを発信し知ってもらわなくてはと常に考えていたから、心の中では渋々だったけれど、壇上であいさつをしたんです。『もし私が本を出す日が来たら、タイトルは独裁者への道、と思っています』と。そうしたら会場中がどっと盛り上がってしまってね。同じ会場にいたのに、渡邉さんはそのあいさつについて帰りに記者たちに質問され、全然聞いてなかった、と無関心でおっしゃったそうだね」
今では、笑顔でそう振り返る。
互いに名指しはしないものの、その主張、プロスポーツの在り方について「独裁者」と互いを形容し合う激しい論戦のゴングは、こうして鳴り響いた。
渡邉は独裁者と返されたのをまるで挑戦状と受け取ったかのように、「地域密着など空疎な理論」と、ことあるごとに発言した。渡邉が、読売ジャイアンツのオーナーに就任するのは、翌年、96年である。
91年、読売新聞社の名誉会長で、ともにジャイアンツの最高経営者会議を構成した務台光雄が死去。務台の後を受け球界への発言力を徐々に強めていった。「野球はあまり分からない」と公言しながら、初めて球団オーナーに就任する途中に出現した、新しい概念としてのJリーグを、川淵を、すんなりとは認めなかった理由だったのだろうか。
「プロ野球界のドン」と、「Jリーグのチェアマン」との対立構造は、これまでなかった新しい話題として連日スポーツ新聞の一面となるほど大きな注目を集め、おのずと両者の相違点がクローズアップされた。
地域密着「ホームタウン」に根差したクラブと、大企業の「フランチャイズ」として興業色の強い球団経営。1人まで実数で発表する観客数で、クラブ経営の透明化、健全化を打ち出したサッカーに対して、いわば「どんぶり勘定」で常に満員を平然と発表し続ける野球。こうした理念や存在意義の違いがメディアで取り上げられる度に、その効用は、新参のサッカーにとって、より有利に働いた。
大新聞社の社長で球団オーナーでもある人物と、30年勤め上げたサラリーマンとの対立は、自由で上下関係に縛られないサッカーの存在感をアピールする絶好機ともなった。
ヴェルディ幹部が1か月前、対面を回避しようとした2人が、はからずも出版パーティーでニアミスしてしまった。
「だから出版パーティーに到着し、渡邉さんがいらしていると聞き、あぁ気が重いなぁ、とね。ところが司会のアナウンサーが突然、『今日は川淵さんがいらしています、ここでスピーチをお願いしましょう!!』なんて、予定になかったのに紹介してしまった。場の雰囲気を壊しちゃいけないし、渡邉さんはいらっしゃるし、それにあの頃は、どこに行ってもできる限りJリーグを発信し知ってもらわなくてはと常に考えていたから、心の中では渋々だったけれど、壇上であいさつをしたんです。『もし私が本を出す日が来たら、タイトルは独裁者への道、と思っています』と。そうしたら会場中がどっと盛り上がってしまってね。同じ会場にいたのに、渡邉さんはそのあいさつについて帰りに記者たちに質問され、全然聞いてなかった、と無関心でおっしゃったそうだね」
今では、笑顔でそう振り返る。
互いに名指しはしないものの、その主張、プロスポーツの在り方について「独裁者」と互いを形容し合う激しい論戦のゴングは、こうして鳴り響いた。
渡邉は独裁者と返されたのをまるで挑戦状と受け取ったかのように、「地域密着など空疎な理論」と、ことあるごとに発言した。渡邉が、読売ジャイアンツのオーナーに就任するのは、翌年、96年である。
91年、読売新聞社の名誉会長で、ともにジャイアンツの最高経営者会議を構成した務台光雄が死去。務台の後を受け球界への発言力を徐々に強めていった。「野球はあまり分からない」と公言しながら、初めて球団オーナーに就任する途中に出現した、新しい概念としてのJリーグを、川淵を、すんなりとは認めなかった理由だったのだろうか。
「プロ野球界のドン」と、「Jリーグのチェアマン」との対立構造は、これまでなかった新しい話題として連日スポーツ新聞の一面となるほど大きな注目を集め、おのずと両者の相違点がクローズアップされた。
地域密着「ホームタウン」に根差したクラブと、大企業の「フランチャイズ」として興業色の強い球団経営。1人まで実数で発表する観客数で、クラブ経営の透明化、健全化を打ち出したサッカーに対して、いわば「どんぶり勘定」で常に満員を平然と発表し続ける野球。こうした理念や存在意義の違いがメディアで取り上げられる度に、その効用は、新参のサッカーにとって、より有利に働いた。
大新聞社の社長で球団オーナーでもある人物と、30年勤め上げたサラリーマンとの対立は、自由で上下関係に縛られないサッカーの存在感をアピールする絶好機ともなった。