ペトロヴィッチ監督が最後に吐露した本音。
このチームの監督や選手は、もう少しプロの誇りや責任というものを考えた方がいい。
彼らは大金をもらってサッカーをしている。立派なスタジアムで大勢のファンが見守る中、プレーすることができる。そんな恵まれた人は、ほんのひと摘みしかいない。それならばなおさら「さすがはプロだ」、「やっぱり日本一を争うチームは違う」という説得力あふれる試合を見せなければならない。
だが浦和は、そういうゲームができなかった。焦点が曖昧、覚悟もないままにピッチに立ち、最後に自分から崩れていった。
言い訳ばかりしていたペトロヴィッチ監督が、最後に本音を吐露した。
「日本の選手はレッドカード3枚出てもいいから、絶対に勝てといったら“何言ってるんだ?”という顔をする。ヨーロッパの選手ならやりますよ」
それをやらせるのが監督の仕事でしょ、という突っ込みはさておき、この言葉は監督の目にも選手がすべてを出し切ったように見えなかったことを物語る。
わたしだって、そう思う。
シーズンの終わりを告げる笛が鳴り、浦和の選手は何人かがピッチに崩れ落ちた。号泣する選手もいた。でもあの中に、すべてを出し尽くした選手は果たしていただろうか。
ヨーロッパや南米の試合は、終盤に荒れることが多い。
負けているチームがリスク覚悟で反撃に出るし、勝ち目がなくてもファンの面子を立てるために荒々しいタックルを繰り出したりする。すべてを出し尽くさなければ翌日、練習場に怖いお兄さんが押し寄せて大変なことになるからだ。
危険なタックルを浴びせた選手が「俺はやるだけのことはやった」と胸を張ってピッチを出て行き、ファンが喝采を送るというシーンも珍しくない。
だが、日本では滅多にない。浦和に限らず、日本のチームは粛々と負けていく。
日本代表だってそうだ。ワールドカップで退場者を出したことがない。退場すればいいというわけではないが、ほどほどに戦って悔しがれば許してもらえるからだろう。
優勝を争う3チームがひとつも勝てず、最下位を独走したチームに辛くも引き分けたチームが優勝した。ちょっと考えられない結末。だが、これがいまの日本のサッカーなのだ。
取材・文:熊崎敬
彼らは大金をもらってサッカーをしている。立派なスタジアムで大勢のファンが見守る中、プレーすることができる。そんな恵まれた人は、ほんのひと摘みしかいない。それならばなおさら「さすがはプロだ」、「やっぱり日本一を争うチームは違う」という説得力あふれる試合を見せなければならない。
だが浦和は、そういうゲームができなかった。焦点が曖昧、覚悟もないままにピッチに立ち、最後に自分から崩れていった。
言い訳ばかりしていたペトロヴィッチ監督が、最後に本音を吐露した。
「日本の選手はレッドカード3枚出てもいいから、絶対に勝てといったら“何言ってるんだ?”という顔をする。ヨーロッパの選手ならやりますよ」
それをやらせるのが監督の仕事でしょ、という突っ込みはさておき、この言葉は監督の目にも選手がすべてを出し切ったように見えなかったことを物語る。
わたしだって、そう思う。
シーズンの終わりを告げる笛が鳴り、浦和の選手は何人かがピッチに崩れ落ちた。号泣する選手もいた。でもあの中に、すべてを出し尽くした選手は果たしていただろうか。
ヨーロッパや南米の試合は、終盤に荒れることが多い。
負けているチームがリスク覚悟で反撃に出るし、勝ち目がなくてもファンの面子を立てるために荒々しいタックルを繰り出したりする。すべてを出し尽くさなければ翌日、練習場に怖いお兄さんが押し寄せて大変なことになるからだ。
危険なタックルを浴びせた選手が「俺はやるだけのことはやった」と胸を張ってピッチを出て行き、ファンが喝采を送るというシーンも珍しくない。
だが、日本では滅多にない。浦和に限らず、日本のチームは粛々と負けていく。
日本代表だってそうだ。ワールドカップで退場者を出したことがない。退場すればいいというわけではないが、ほどほどに戦って悔しがれば許してもらえるからだろう。
優勝を争う3チームがひとつも勝てず、最下位を独走したチームに辛くも引き分けたチームが優勝した。ちょっと考えられない結末。だが、これがいまの日本のサッカーなのだ。
取材・文:熊崎敬